「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」2020年9月保育聖句
「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」
ヨハネによる福音書15章15節
今月の保育主題の聖書の言葉は、イエス様が弟子達に語られた言葉の中からとられています。その日、後に最後の晩餐と呼ばれることになる食事を弟子達とすまされたイエス様は、祈るためにエルサレム郊外のゲツセマネに行かれます。そしてそこでかねてからイエス様の言動を快く思わず危険視していた人達によって捕縛され、裁判にかけられます。その結果、イエス様は、なんの証拠がないにもかかわらず、神様を冒涜した罪人、国家転覆を企てた反逆者と断罪されて十字架につけられることとなります。その意味で今月の言葉はイエス様の告別の言葉、遺言といえます。
イエス様は「私はあなたがたを友と呼ぶ」という言葉に続けて、「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私が任命した。」だから「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」と弟子達に告げられました。けれども弟子達はこの「命令」を受け止められませんでした。それどころか彼らはイエス様が捕縛されるや否や逃げ出しました。ペトロに至っては「イエスなど知らない」と3度も否む始末です。何とも無様で不甲斐ない者達です。しかしイエス様はそんな彼らの弱さをよくご存じでした。ご存じだからこそ「私はあなたがたを友と呼ぶ」、「私があなたがたを選んだ」と前もって告げられました。
ここで「友」と訳されている言葉は「愛」に関わる文字です。それを訳した漢字の「友」は「かばいあうようにして曲げた手を組み合わせた形」だと言われます。相手を敬い、慈しみ、大切にし、守る。それが愛であり、友の姿です。神様の御子イエス・キリストはまずご自身でもってそれを示されました。イエス様を通して、神様が世界にあるすべてのものたちに、「あなた方は私の友である。…私はあなたがたを友と呼ぶ」と宣言されました。神様を信じる人も信じない人も、正しい人も正しくない人も、強い人も弱い人も、私が好きな人も嫌いな人も、鳥も獣も野の草も、すべては神様が慈しみ、見守り、育んでおられる大切な存在なのだと示されました。その一人として私達は今日という日を生きています。だから私達は神様が等しく愛おしんでおられるすべてのものを尊重し、お互いを認めあうことを大切にします。それを可能にする勇気と力は、私達を「友」と呼んで下さるイエス・キリストからすでに与えられています。
あの晩、恐ろしさのあまり逃げ出した者達が、後に「使徒」と呼ばれる者となり、「イエスなど知らない」と否んだペトロが、最後は逆さ十字架での殉教さえ厭わない者になり、初代のローマ教皇と見なされるほどに尊敬される人となったのはひとえに破れだらけのただの人を、友と呼んで下さったイエス様の力とお働きによります。イエス・キリストの愛と真実は、弱く愚かな者達をかくも力強く、美しく変えるのです。私達は誰もがこの同じ恵みとお力にあずかっていることを、心に記して日々を歩みたいと思います。
園 長 大木 正人