幼保育連携型認定こども園山梨英和こども園

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「しかし、必要なことはただ一つだけである。」ルカによる福音書10章42節(2017年8月保育聖句)

「しかし、必要なことはただ一つだけである。」ルカによる福音書10章42節

 

 表題の言葉はマルタとマリアの姉妹が家にイエス様達をお迎えした時のエピソードに由来します。マルタはいろいろのもてなしのためにせわしく立ち働くのですが、マリアはイエス様の足もとに座って話に聞き入ります。やがてマルタはマリアが全然手伝おうとしないことに腹を立てます。誰も忙しい自分を助けてくれない。気にもとめてくれない。イエス様もそれがわかっていない。マルタは不満をイエス様にぶつけて訴えます。

 「主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝うように仰って下さい。」

そんなマルタにイエス様は告げられます。

 「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」

 

 厳しい言葉に聞こえますが非難しているのではありません。彼女の名前を2回、親しみを込めて呼んでいるところに彼女への労りがうかがえるからです。

 マルタはあれもこれも全部自分一人でしなくてはならないと思い悩み、心を乱しています。何のためにこれをするのか。その原点を見失ったとき、人は不満不平で苦しくなります。そもそもは、もてなすという仕方で自分の喜びを現したいと願ったはずのマルタです。マリアはそれをイエス様の話を聞くという仕方で現わしているのです。当時、女性が先生の足下に座って話を聞くことは許されませんでした。女は仕えもてなす者、学問はいらない。それが常識とされる中、マリアはその常識に逆らってイエス様の足下に座っているのです。マリアもマルタのことは気になったはずです。マルタの不満や、どうして手伝わないのかといぶかる周囲の視線には当然気付いたはずです。マリアはそれと戦いながらイエス様の足元に座って話を聞いています。そこまでする彼女の胸の中には、マルタの分もしっかり聞いて伝えようという思いが強くあったに違いありません。彼女はただ自分の興味や関心を満たすためにではなく、自分が身につける知識や知恵を差し出し分かち合うために学んでいる。だからイエス様は「マリアはよい方を選んだ。それを取り上げてはならない」と仰ったのだと思います。もてなすという形でのマルタの気遣いが大切なように、マリアのように他者を思い遣る姿勢も大切なのです。しかしそれは私達がいつもそのことを意識して心にとめていなければ簡単に取り上げられ、消え去ってしまいます。

 私達がよく使う言葉に「忙しい」があります。「心」と「亡」という字からできている文字ですが、「亡」には「人が囲いに隠れて見えなくなる」という意味があります。心から見えなくなることを「忘れる」といい、あれこれに追われて心がまともに存在せず、落ち着かない気持ちになることを「忙しい」といいます。忙しさの中で肝心なことを見失ったマルタをイエス様は表題の一言で落ち着かせます。

 いつもとは少し違う生活リズムで過ごす夏の時期、少しでも日々の「忙しさ」から逃れて、私達にとってなくてはならない必要なただ一つのこととは何かに思いをはせたいものです。厳しい暑さの毎日が続きます。神様の豊かな守りとお支えがありますように。

園長 大木正人

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