主はわたしたちを造られた。(詩編100編3)2023年6月保育聖句
『 主はわたしたちを造られた。 』
全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え喜び歌って御前に進み出よ。知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民主に養われる羊の群れ。 (詩篇 100編1~3) |
新型コロナ感染症が、5類に移行したことにより、マスクの着用、ワクチンの接種、入院隔離措置等を含め、私たちの日常生活は大きく変化しています。また、以前は毎日テレビや新聞で新型コロナの報道がされていましたが、最近ではほとんどなくなりました。何となく、頭の中では「新型コロナは心配ない。」と考えてしまいがちですが、新型コロナ感染症は以前と変わらず私たちの身近に確実に存在します。特に、こども園は多くの子どもが集う場として、クラスターが起こる危険性があります。新しいルールの中でも、子どもたちを守るため、私たちにできる感染予防のための取組みは、今後も続けていきたいと考えています。保護者の皆様には、引き続きご理解とご協力をお願いします。
さてここで、今子どもたちに学んでほしいこと、学ばなければいけないものは何なのか改めて考えてみたいと思います。繰り返し強調したいのは、遊びを通して子どもたちが身に着けていく人との関わり方です。そして、どうしたら他者との関係を築いていけるのか、何をすると人との関係が崩れてしまうのかを学んでいきます。また子どもたちは、人と人との関りを通して、失敗や挫折を通して「耐える力」を身に着けていきます。そんな中で自分の思い通りにならないこともあるのだということを学んでいきます。ですから、何か失敗しそうになると、かわいそうだと大人がすぐに関与して助け、解決してしまうことは、子ども自身が学ぼうとする機会を奪ってしまうばかりか「耐える力が」つきません。もし、子どものころ失敗も挫折もなく過ごしてしまうと、大人になって社会という大きな集団で生きていくことが困難になる場合もあります。私は長い間、学校教育に携わってきましたが、その間多くの親子関係を見てきました。例えば、携帯電話が今ほど普及する前、一部の生徒が学校に携帯電話を持ってきて友だちに見せびらかしたり、休み時間にメールやSNSを使ったり、場合によっては子ども同士の誹謗中傷に発展することもありました。当然学校では、携帯を持ってくることは原則禁止としていました。それでも持ってくる生徒がいた場合には、学校で預かり、保護者に直接返却していました。そして、子どもの携帯を取りに来た保護者のほとんどは「すみません。ご迷惑をおかけしました。」と謝罪して帰ります。でも、中には「うちの子だけじゃないのに不公平だ。」などと文句を言って帰る保護者もいました。また、「SNSの書き込みでうちの子供が仲間外れにされているから先生が指導してください。」とお願いに来る保護者もいました。そんな時、私が保護者に言うのは「学校では、子どもに携帯を買ってあげて下さい。とはひとことも言っていません。便利な反面、使い方によっては大変なことになるということを承知で買い与えたのではないですか?」ということです。少し冷たいようですが、全国的には携帯の書き込みで、自ら命を絶つ小中学生もいるということを考えると保護者が真剣に向き合わなければならない大きな問題だと思います。子どもは、大人の言うこと、大人の行動をしっかりと見ていて、真似をすることがとても得意です。私たちのちょっとした一言は子供の心に大きな影響を与えます。子どもたちが人格形成をしていく上で、身近な大人の影響はものすごく強いということを私たちはきちんと自覚するべきです。
今月の聖句は、まさに私たちが毎日の礼拝を通して実践していることです。礼拝では、私たちを造られた神さまをたたえ、神さまに感謝の祈りをささげています。私たちをお造りになった神さまは、常に私たちと共にいて、喜びの時も、悲しみ、困難の中にあっても、決して見放したり、見捨てたりしません。ですから、私たちも自分と同じように他者を大切に考える姿勢を育てていかなければなりません。山梨英和こども園は、敬神・愛人・自修の考え方をもとに、これからもより良い教育保育活動を続けていきたいと考えています。
園長 石川 健