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カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2017/12/27

「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」ルカによる福音書2章14節(2017年12月保育聖句)

「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」

ルカによる福音書2章14節

 

 暗く寂しい夜、凍える寒さに耐えながら、野犬や羊泥棒に注意を払い、羊飼い達は夜通し羊の群れの番をしていました。彼らには安らぐ家もフカフカのベッドもありません。仕事柄あちこちを行きめぐる羊飼いは邪魔者扱い、住民登録の対象からさえ外されていました。礼拝に出ることも、定められた戒めも十分には守れない彼らは宗教的には「罪人」とみなされて差別されました。それは羊飼い達にとって何より辛く、悲しく、悔しいことでした。

 そんな羊飼い達にその夜、主の天使が現れ、彼らの周りを主の栄光がまばゆく照らしました。それは羊達の小さな命を守るために働いている彼らを暗闇の中から映し出し、決して罪人ではない、御心にかなう者だと祝福し、世界の民全体に与えられる大きな喜びを告げるためでした。そのために「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と天使は伝えました。羊飼い達はどんなに嬉しかったことでしょう。

 天使は彼らに救い主がお生まれになったのは「ダビデの町」だといいました。「ダビデの町」はベツレヘムの別名です。昔、イスラエルの王となったダビデがその町で生まれ育ったのでその名で呼ばれます。天使が「ダビデの町」といったのは、ダビデ王も羊飼いだったからです。8人兄弟の末っ子のみそっかすの羊飼いの少年が、王になったのです。ダビデは羊飼いにとっては希望の星。だから天使は「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げたのです。その知らせを聞いて羊飼い達は「さあ、ベツレヘムに行こう。主が知らせて下さったその出来事を見ようではないか」と出かけます。

 

 こども園でのページェント(降誕劇)ではこの場面で羊飼い役のこども達が、「みんな聞いたか、みんな聞いたか」と大きな声で呼びかけて、「さあ、さあ、行きましょ、ベツレヘムへ。さあ、さあ、行きましょ、ベツレヘムへ」と元気に歌い交わしながら、キリストを探すために出て行きます。私は毎年この場面を見ると胸が熱くなります。それは、「今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げる天使の声には、私達を立ち上がらせ、押し出す力があることを教えられるからです。神様からの呼びかけは、私達に「さあ、行こう」と歩き出させる力に溢れているのです。このようにして天と地は出会い、神と人は一つに結び合わされ、神様のお力を身に受けて、人は神様の救いをこの目で確かめ、その喜びを告げ知らせ、神様の平和をさらにも実現するために進んで行く。クリスマスはその出来事の始まりの時なのです。

「ダビデ」という名前には「愛される者」という意味があります。そうだとしたら「今日、ダビデの町で救い主がお生まれになった」という言葉は、「今日、神に愛される者達が生きているその場所で救い主はお生まれになる」という意味にも取ってよいかもしれません。イエス・キリストをこの世界にお遣わしになった神様は、世にあるすべての者達を愛して下さるお方だからです。私達はこのお方と共に、神様に愛されている者として、少しでも悲しんでいる人に寄り添い、それを癒す事ができればと願います。そのために私達はどうあるべきなのか。クリスマスは、神様の思いを受け止めて考えるための私達にとって特別な時でもあります。その時、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ」という天使の言葉が、いよいよ力強く私達の心に響き渡るってくるに違いありません。

園長 大木正人

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