「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」2019年9月保育主題
「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」
ルカによる福音書5章4節
一所懸命頑張ったのに報われない。そんな経験をして落胆し、疲れ果てることがあります。イエス様の弟子となった漁師のシモンがそうでした。そのとき彼は徹夜の漁から帰って来たところでした。しかしその夜は収穫ゼロ。彼は疲れきって岸に戻り不安を抱えながら網の手入れをしていました。そんなシモンにイエス様は近づいて来られました。おそらく知り合いだったのでしょう。イエス様は彼の舟に乗り込むと「沖に漕ぎ出して網をおろし、漁をしなさい」と言われます。シモンは驚いたに違いありません。なぜなら漁は夜にするものだからです。真っ暗な湖面を松明で照らし、その明かりに寄ってくる魚を捕えるのが漁師の常識です。それなのにイエス様はもう一度舟を漕ぎ出して漁をしなさいと言うのです。そんなことをしても魚が捕まるはずがない。シモンは溜め息混じりの、少し呆れたとった感じの声で答えたのではないでしょうか。
「先生、私達は夜通し苦労しましたが何もとれませんでした。」
この言葉には彼の漁師としてのプライドがにじんでいるように思います。「先生、漁は夜にするものなのです。今さら網を降ろしても魚なんか捕まるはずがありません。」シモンはそう言いたかったに違いありません。しかし相手はイエス様です。冷たくダメとも言えなかったのかもしれません。あるいはイエス様の声とまなざしには、とにかく信じてやってごらん、大丈夫だよと促す何かがあったのかもしれません。シモンは「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えて、言われたとおりにしてみます。するとおびただしい魚がかかります。網は破れそうになり、魚の重さで小さな舟は沈みそうになります。シモンは思わず「主よ、…私は罪深いものです」と叫びます。彼はたぶん、自分は漁師だ、素人の大工のイエスに何が分かるかと見下していた自分を恥じたのでしょう。そんなシモンにイエス様は「恐れることはない。あなたは今からのち人間を取る漁師になる」という忘れられない不思議な言葉を告げて、彼を弟子にされます。
私達には一所懸命頑張っても報われない厳しい現実が確かにあります。シモンのように徹夜で頑張っても期待した成果がまったく得られなくて疲れ果てる。そんな経験がしばしばあります。いや私達の毎日はそうしたことの連続かもしれません。聖書が教えるのは、しかしだからといってそれで終わりでは決してないということです。厳しい現実に落ち込む私達を慈しみ、「諦めないで沖へ漕ぎ出し、もう一度網を降ろしてごらん!」と励ますお方がおられる。「恐れることはない」と勇気づけて下さるお方が私達にはおられる。「そんなこと言ってもダメ。今さらしてもムダ」などと決めつけがちな私達に、神様はイエス様を通して思ってもいない経験をさせて下さる。
その出来事は「沖へ漕ぎ出し、網を打て」というイエス様の招きから始まり、シモンが「しかしお言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と応えることで実現しました。諦めて、決めつけて、何もしなければ、起こらないことでした。こわばった常識やつまらないプライドに縛られたままでは得られないものでした。それに気づいたシモンにイエス様は「今から後、あなたは人間を取る漁師になる」と告げられます。イエス様は、自分の弱さや頑なさという破れを知ったシモンに、これからあなたはその経験をいかして、他の人達の思いに寄り添い、助ける人になるのだと告げられました。彼が経験し、聞いたその言葉を、私達もいただいています。だから信じて「沖に漕ぎ出して網を降ろ」す勇気を私達は大切にしたいと思います。
大木 正人