幼保育連携型認定こども園山梨英和こども園

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『わたしは弱いときにこそ強いからです。』(コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章8~10節)2025年2月保育聖句

園 長  石 川  健

わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

(コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章8~10節)

 こども達の大好きな歌の一つに「カレンダーマーチ」という歌があります。♪一月いっぱい雪よふれ 二月の庭にはふくじゅそう・・・♪ 2月の福寿草は年が明けてからはじめに咲く花として縁起がいいとされてきました。小さな黄色いとても可愛らしい花です。福寿草の花言葉は「永久の幸福」「思い出」など、とてもポジティブのものが多いようです。しかし、その可憐な姿とは裏腹に福寿草は毒を持っているそうです。福寿草の新芽をフキノトウと間違えて食べ、死亡した例もあるそうです。

 新年を迎え、あっという間に2月になり、あと少しで、卒園、進級を迎えます。多くの成果があった1年間を振り返り、新しい学年に備えて行けたらと思います。

 今月は、「強さ」と「弱さ」について考えたいと思います。私たちが日常使う言葉に「強い」という言葉と「弱い」という言葉があります。どちらも、何かの状態を単純に言い表すときに用いられることが多いです。そして、「強い」という言葉は多くの場合プラスに捉えられ、「弱い」という言葉は、マイナスのイメージを持たれることが多いです。当然のことですが、全ての保護者は自分の子どもに強くたくましい子に育ってほしいと願っていると思います。私は小さい頃、とても泣き虫した。ちょっとしたことで泣くと、家族から「弱虫」「情けない」「強くなれ」などとよく言われました。学校でも友だちから弱いといわれると、その言葉は心に重くのしかかりました。今のジェンダーの時代には考えられませんが少し前まで、小さなことでめそめそしたり、くよくよしていると親や先生から言われる言葉は決まって「男のくせに」でした。だから、自分の弱さをできるだけ隠そうと必死になって強がって生きてきたような気がします。そのため、いまだに「男の子は強く、女の子は優しく」という感覚は私たちの中に残っているのではないでしょうか。男の子が使う乱暴な言葉を女の子が使うと「女の子なんだから、そんな言葉は使うんじゃない。」とたしなめる場面もよく見かけます。

 さて、今月の聖句ですが、聖書は私たちが「強い」「弱い」という言葉に振り回されている時に、最も適切な答えを示してくれています。「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」「大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」「なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです。」聖書は、私たちに弱いことは悪いことではなく、むしろ良いことなんだと述べています。全ての人は、強さと弱さを兼ね備えています。強いだけの人間、弱いだけの人間なんて存在しません。こども園の子どもたちも、ちょっとしたことですぐ泣く子どももいれば我慢強い子どももいます。そして、もしかすると私たちは保育の場面で、転んでも泣かずにすぐ立ち上がる子どもに「強いね」とか「偉いね」と声をかけることがあるかも知れません。でも、それはもしかすると「強さ」の肯定、「弱さ」の否定を知らず知らずのうちに子どもに伝えているのかもしれません。悲しい時、つらい時、痛い時、泣きたい時には、その感情を変にコントロールせず表現することは子どもの情緒を育てるためにはとても重要なことです。ですから、私たちは子どもの強さも弱さも全て受け入れ、認めることが大切です。強くなくてもよいのです。弱さを隠す必要はないのです。本当の強さは、弱さの中にあるのです。また、本当に強い人間は、自分の弱さを理解している人間なのです。子どもたちがよく歌う讃美歌に、♪主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ…♪ があります。聖書が私たちに示してくれているのは、弱い私たちには、強い神さまがいつもそばにいて下さるということです。だから私たちはどんな時も恐れる必要はないのです。強がって無理をしたり、自分の弱さに絶望したりする必要はないのです。

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