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カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2018/08/20

「子供たちを私のところに来させなさい。」 …(中略)…そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。マルコによる福音書10章13~16節(2018年4月)

「子供たちを私のところに来させなさい。」…(中略)…そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

                       マルコによる福音書10章13~16節

イエス様に触れていただくために人々が子供たちを連れて来ました。偉い先生に触れてもらえたらその子は幸せになれる。そう思って連れて来ました。我が子を思う切ない親心です。これを見て弟子達は彼らを叱りました。「忙しいイエス様を煩わせるな」とでも言ったのでしょうか。みんなにつきあっていたらイエス様の身がもたないと心配したのかもしれません。弟子達にもそれなりの理由はあったのでしょう。ところがイエス様はそんな弟子達を見て憤ります。そして「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない」と仰って一人ひとり抱き上げ、手を置いて祝福されました。人々が願ったのはイエス様に触れていただく事でしたが、イエス様はそれ以上の仕方で応えて下さいました。

その時イエス様はこういわれました。

「神の国はこのような者達のものである。」

ユダヤでは神の掟と戒めをよく学んでいない子供たちは神の国には入れない(救われない)と考えられていました。だからしっかり教育しなければならない。それが教育を重んじるユダヤの伝統を生み出しました。教育はもちろん大事です。しかし忘れてならないのは、すでに「神の国はこのような者達」、幼子たちのものだということです。子供は子供として既にそのまま神様によって受け入れられ、祝福されているのです。イエス様は大人達に視点の転換、常識の変更を迫ります。「マルコによる福音書」で一番始めに記されるイエス様の言葉は「悔い改めよ」です。「視点を移し、転換せよ」という意味です。予断、偏見、先入観に捕らわれる私達への忠告と言えます。

 子供は決して半人前ではありません。人格を持ち尊厳のある一人の人です。知識や経験、体力や能力では大人に及ばないかもしれませんが、逆に大人が失ってしまったもの、無くしかけているものを持っています。子供だからこそあるし、子供でなければできない事がたくさんあります。大人はそれを潰してはいけません。「子供達を来させなさい」というイエス様を、ある翻訳は「子供たちを解放させよ」と訳しています。

翻って私達の世界はどうでしょうか。イエス様が願っておられる世界になっているでしょうか。残念ながら、子供たちが解放されているとは言い難いようです。貧困に苦しむ子供たちがいます。幼い頃から人を殺す場面を見せられ、人を殺すことを教え込まれている子供たちがいます。性の搾取の対照になっている子供たちがいます。そんな世界に向けて、イエス様の「子供たちを解放させよ」という言葉が告げてられています。キリストはそのようにおっしゃって子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福されたのです。大人たちの身勝手によって妨げられてはならないのです。イエス・キリストによって立てられ、導かれ、支えられていると信じる山梨英和のこども園に連なる者として、そのことを心に記してこの一年、皆さんと共に子供たちの健やかな成長と幸いを願いつつ歩みたいと思います。

子供の最善の利益を考慮し、一人一人を大切にする保育を実践するという認定こども園の理念も源をたどれば、子どもの権利条約、世界人権宣言に、そして主イエスのこの一句に端を発しています。

園長 大木正人

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