ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 ルカによる福音書19章6節(2018年9月)
「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。」
ルカによる福音書19章6節
ザアカイはエリコという町の徴税人の頭でした。エリコは都エルサレムに至る幹線道路沿いの町で冬場はそこが都とされました。ナツメヤシやバルサム材等をローマに輸出する拠点でもあったエリコは物流の要、関税徴収の町でもありました。ザアカイはその町での徴税をローマ政府から請負って仕事に励み「長」に出世していました。そのため、暮らし向きは良かったようですが町の人との関係は最悪でした。人々からしたらローマ政府の力をかさに税金を過剰にむしり取って私腹を肥やすザアカイは裏切り者、異邦人と交わる罪人、決して許せない人でした。だからイエス様がエリコに入り、町を通っておられると知って、ザアカイがどんな人か見ようとした時、町の人たちは彼の背が低いのをいいことに、わざと遮って見えないように邪魔しました。しかしザアカイも負けてはいません。イエス様の姿を見るために走って先回りし、いちじく桑の木に登ります。木の上からなら誰にも邪魔されないでイエス様の姿が見られるからです。意地悪な町の人たち。負けじとムキになるザアカイ。一事が万事この調子だったのかもしません。それをバネにザアカイは頑張ってきたのかもしれません。しかしそれはなんと悲しい人間関係でしょうか。イエス様はそのただなかに来られます。そしてその場所に来ると上を見上げてこう言われます。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
これを聞いて、ザアカイがとった行動を記しているのが9月の保育主題の聖句です。
「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。」
イエス様が彼の名前を知ったのは木によじ登っているザアカイを指差しながら町の人たちが彼をバカにしているのを聞いたからかもしれません。その時イエス様はザアカイと町の人たちの壊れた関係を察知された。そこでザアカイに声をかけ一夜の助けを乞うた。イエス様は町の人たちから見下されているザアカイを見上げながら優しく親しみを込めて声をかけられます。それは木によじ登っているザアカイの心の奥底にわだかまる寂しさ、拭いきれない深い孤独がイエス様にはよくわかったからでしょう。そしてそれがザアカイの心を解きほぐします。
木の下に(under)立って(stand)、ザアカイを見上げ(look up to=尊敬する)声をかけるイエス様は、一人の人を理解すること(understand)の大切さと、それがもたらす大きな喜び、力を私たちに教えてくれます。ザアカイは急いで木から降りて来ます。意地というツッパリの木、人を見下す傲慢の木、権力という名の木から彼は急いで喜んで降りて来ます。しかしイエス様の行動に納得がいかない町の人たちはこう呟きます。
「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
ザアカイという名前は「正しい者」「清い者」という意味ですが、町の人たちは彼をその名では呼びません。皮肉と非難を込めて彼を「罪深い男」と嘲ります。それを聞いてイエス様は声を大にしてハッキリとこう断言されます。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。」
あなたも私も彼も元をただせば同じ人の子孫。神様に命を与えられた同胞、兄弟ではないか。イエス様はこの言葉をもって人々の愚かさ、狭さ、頑なさを揺さぶられます。イエス様こそ私たちを最もよく理解して、新しい生き方へと踏み出す力をお与え下さるお方なのです。
園長 大木正人