「主はすぐ近くにおられます。」2020年8月保育聖句
「主はすぐ近くにおられます。」フィリピの信徒への手紙 4章5節
チラッチラッとこちらを見ながら園児があちらに走っていきます。大好きな先生がどこにいるのかを確かめているようです。確認すると安心したように走り出し、ちょっとした冒険に出ていきます。先生がいるから大丈夫、見守ってくれているから平気、その安心感が子ども達の自由な、伸び伸びとした振る舞いにつながります。でもそれは先生が遠すぎても、近すぎても多分ダメ。絶妙な距離感が求められます。そんなことを考える中、ある聖書の一節を思い出しました。旧約の申命記32章にある言葉です。荒れ野での40年に及ぶ長く苦しい旅を振り返ってモーセはこう記しました。
主は荒れ野で彼を見出し、獣の吠える不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、
いたわり、ご自分のひとみのように守られた。鷲が巣を揺り動かし、雛の上を
飛びかけり、羽を広げて捕え、翼に乗せて運ぶように、ただ主のみ、その民を導いた。
引用の後半部分は、雛鳥を翼の陰に隠して外敵から守ってきた母鷲が、巣立ちを間近にした子ども達を巣から揺さぶり落とし、自分の翼で飛ぶことを教える様子を描いています。もし雛鳥がもがいて墜落しそうになると、母鳥はその子らの下にすばやく舞い降りて、自らの大きな翼に乗せて運んだと言われます。なんとも厳しい子育て、親離れ、巣立ちの教育ですが、そこにあるのは細やかな配慮と注意に裏付けられた確かな見守り、自立のための働きかけです。「育む」という言葉は一説によるとここからきているそうです。育むとは、「羽で包む」「羽くくむ」からきているというのです。神様はこのように私達に向き合い、一人一人を育んで下さる。たとえそのことに私達が気づかなくても、私達が今ここに生きて在る、そのことが神様の恵みと祝福の証です。
「無条件の喜びから生まれる無条件の祝福は、子どもが健やかに育っていくうえで、なくてはならない魂の栄養です」とある精神科医はいいます。「無条件の祝福によって子どもは自分が愛されていることを知り、この世に歓迎されていることを知ります。自分は生きていていいのだと実感し、この実感がいずれ力強く人生に踏み出すための足場となるのです。エリクソンという人は、これを『基本的信頼の確立』と呼びました。人生の基礎工事ともいうべき大切な作業です。(中略)本当に人を育てるのは、その子の存在を心から喜ぶ無条件の祝福です。褒めることも叱ることも、この土台の上で初めて意味あるものとなるでしょう。」
石丸昌彦著『神様が見守る子どもの成長』日本キリスト教団出版局より
「主はすぐ近くにおられます」という今月の保育主題の聖書の言葉が告げるのは、私達の存在を神様ご自身が無条件に喜び、祝福して下さっていることに基づく大いなる安心感、確かな信頼の拠り所が私達にはあるということです。主の近さを心に留め、勇気と知恵をいただいて、大切な子ども達を育んで行きたいと願います。
園長 大木正人