「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」マタイ2:10 2020年12月保育聖句
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」マタイによる福音書2章10節
救い主キリストの誕生を喜び祝うクリスマスに備えるアドベント(待降節)を迎えました。アドベントには悔い改めを表す紫色が用いられます。救い主が神様のもとから私達のところへ来られる事に思いをはせ、自らをふり返る時だからです。アドベントと似た言葉にアドベンチャーがありますが、いずれも元は同じラテン語〈やって来る〉からきています。神様の救いが訪れる。新しい出来事が起こる。それを喜び、待ち望み、信頼して一歩を踏み出す。それがアドベント、アドベンチャーの原義です。
アドベントを迎えると思い出す詩があります。40年ほど前に出会った「星を動かす少女」という詩です。
クリスマスのページェントで、/日曜学校の上級生たちは/三人の博士や/牧羊者の群れや/マリアなど/それぞれ人の眼につく役を/ふりあてられたが、/一人の少女は/誰も見ていない舞台の背後にかくれて/星を動かす役があたった。/「お母さん、/私は今夜星を動かすの。/見ていて頂戴ね-」/その夜、堂に満ちた会衆は/ベツレヘムの星を動かしたものが/誰であるか気づかなかったけれど、/彼女の母だけは知っていた。/そこに少女の喜びがあった。(松田明三郎 『星を動かす少女』福永書店より)
この詩と出会ったのは牧師になるために神学校に通っていた時でした。希望を持って神学校に入ったものの、なかなか学校になじめませんでした。なじめないだけではなく、私は周りの優秀さにコンプレックスを覚えました。自分は信仰もあやふやで、キリスト教の知識もなく、何も分かっていない。そのことに気後れし、鬱々とした気持ちを抱えながら、その日も授業に出ていました。そのとき小さな教室でたまたま紹介されたのがこの詩でした。作者は旧約学者でもある牧師との紹介に続けて老教授が朗読する詩に私は心を揺さぶられました。
クリスマスのページェントでは誰もが表舞台に立つ、目立つ役をしたいものです。しかしその少女は誰からも気付かれず、気にも留められない、もしかしたら誰もしたがらない「舞台の背後にかくれて星を動かす役」を担います。それを少女は母に告げます。そして星を動かします。この星を自分が動かしていることをお母さんは知っている。そう思えるだけで充分だという少女の喜びに、松田明三郎牧師は神様の御前に生きる私達の姿を重ねます。私はこの詩の少女に教えられました。舞台の背後で星を動かす人がいなければ劇は進まない。それぞれが与えられた賜物をいかし、その役割を担う時、はじめて世界という舞台は動く。それを期待し、喜び、見守るお方がおられる。それを信じるところに真の喜びがある。私は自分がつまらないコンプレックスの固まりになっていることが恥ずかしくなりました。そしてこの少女のように自分にできることを素直に喜び、それを行いたいと思いました。
この詩と出会って20年後、私としては驚くようなことがこの詩をめぐってありました。それはこの「少女」のモデルが山梨英和にゆかりのある人だということを、山梨英和に赴任した時に、ある方から教えられたのです。私に大切なことを教え、立ち直らせてくれた「星を動かす少女」と関わりのある山梨英和に自分がいる。そのことは神様のなさる不思議で心弾む「喜びにあふれた」出来事であることを強く思います。
園 長 大 木 正 人