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カテゴリ:園長通信 投稿日:2021/06/01

「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい」(ルカ12:27)2021年6月保育聖句

『道徳と聖書』

新学期が始まり、2か月が経とうとしています。こども園では、子どもたちの元気な声が朝から響き渡ります。歌も大きな声で唄います。返事も大きな声で、「はーい」と言えます。朝、大きな声で「おはようございます。」ランチの時には大きな声で感謝の讃美歌を唄います。何か質問すると大きな声で「はい。」と手を挙げます。帰りには、大きな声で「さようなら。」と言えます。大人の社会に欠けているものが、ここでは子どもたちが全て実践しています。

ある会社の人事担当者が、最近の若手社員の傾向として、一流大学を卒業して、学力は高く、言われたことはきちんとできるが、あいさつもできず、自分の頭で考え行動することが苦手な社員が増えてきていると嘆いていました。

私が中学校の教師として勤務をする中で最も気が重かったのが「道徳」の授業でした。当時の道徳の授業は、友情、公共心、思いやりなど多くの項目があり、主に読み物資料を用いて授業が行われていました。やっている教師の私が面白いと思えないので、生徒が面白いと思えるはずがありません。本来答えのないはずの道徳なのに、自然と誰かが望む正しいと思われる方向に誘導されていきます。発言する生徒も素晴らしいことを言おうとして、本音が全く聞こえてきません。そこで、道徳の授業をなんとかしたい。生徒を巻き込み、生徒それぞれが自分の頭で考え、本音で語れる授業にしたいと思い、「考える道徳」を実践しはじめました。手始めに新聞の記事や身近な話題をもとに自分で教材を作りました。例えば、「部活動で一番大切なものは何ですか?」と生徒に聞くと、団結、友情、勝つこと、技能の向上、体力向上などその他にもいろいろな意見が出ます。また、なぜそう思うのかと聞き、議論していると、あっという間に1時間の道徳の授業は終わってしまいます。授業が終わり休み時間になっても生徒はまだ道徳で取り上げたテーマを話し続けています。そして、いつしかみんな週に1時間の道徳の授業を楽しみにするようになってきました。道徳授業でのねらいは、正しい行いを教え込むことではなく、自分の考えを持ち、他者の考えを聞く中で、いろいろな価値観に気づき、自己の考えを再構築していくことです。

 ところが、日本中でいじめによる自殺が多発したことを理由に、2018年には小学校で、その翌年には中学校で「道徳」が教科化されました。教科になると、評価をしなければならず、教科書も必要になってきます。評価も他の教科と違って、5とか4などの数字で表すことができません。そこで、担任が文章で一人一人にコメントを

書いて評価としている学校が多いようです。この評価の仕方にも、多くの課題があります。道徳的価値観は、年齢と共に高まっていきます。その多くは、いろいろな人とのかかわりの中で身についていきます。絶対に正しいなどという価値はないのです。

さて、6月の聖句「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。」(ルカによる福音書12章27節)は、まさに私たち人間が狭い価値観にとらわれてあれこれ考えることのむなしさを教えてくれています。

「どんなに小さな小鳥でも、神さまは育ててくださる。」

「名前も知らない野の花も神さまは咲かせて下さる。」

「よい子になれないわたしでも神さまは愛してくださる。」

(讃美歌21-60番)

英和のこども園では、先生たちが強引に価値観を押し付けたりしません。子どもたちが自由に遊ぶ中で、多くの価値観を自分で身に付けていきます。自分で考え、自分を高めていく力を子どもは持っています。

園長 石川 健

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