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カテゴリ:園長通信 投稿日:2022/09/01

あるものは100倍にもなった。(マルコによる福音書4章8節)2022年9月保育聖句

『 種を蒔く人 』

 

イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは船に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出ていった。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ないところに落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。

(マルコによる福音書4章1~9節)

 

 新型コロナウイルスによる感染症が、流行し始めてから私たちは多くの制限の中で生活してきました。突然学校が休校になったり、どこに行っても飲食店が閉まっていたり、多くの不便を感じながらも、ほとんどの人が感染対策をしっかり守ってきました。しかし、最近はウィズコロナの名のもと、国や県もほとんど対策をせず、夏休み中も各地は多くの人で賑わい、高速道路も渋滞しました。私たちの危機感も少しずつ薄れてきているような気がします。自分の考えではなく、世の中の流れに完全に翻弄されているようで、不思議な感覚です。ほとんど1年中開園しているこども園でも、感染対策を十分に行ってきましたが、感染を防ぐことは困難だということを思い知らされました。また、多くの子ども、先生、その家族が次々に感染していきました。保育士不足で運営できないクラスも出てきてしまいました。

 さて、今月の聖句は「種を蒔く人」のたとえです。ここでいう種とは、神さまの御言葉です。神さまの蒔かれる種は、もちろん全て良い種です。でも、どんなに良い種でも、蒔かれる場所によっては芽を出すことがありません。私たちも同じで、生まれてからずっと保護者をはじめ、多くの他者より、たくさんの種が蒔かれてきました。蒔かれた種は全てが芽を出すわけではなく、むしろほとんどの種は芽を出さず枯れてしまいます。逆に、枯れてしまったと思った種が10年後、20年後に芽を出すこともあります。

保護者の皆様も、「優しい子に育ってほしい。」、「明るく元気な子に育ってほしい。」「困難に負けない強い子に育ってほしい。」と、毎日子供たちの心に働きかけ、種を蒔き続けていることと思います。でも、聖書がいうように、蒔いた種は私たちの思い通りには育ちません。そんな時、悩んだり、イライラしたりすることもあるかも知れません。でも、1度蒔いた種は子どもの心の中しっかりとあります。また、種は蒔いただけではきちんと育ちません。子どもと一緒に毎日水をやり、元気がなかったら少しだけ肥料(やりすぎると枯れることもあります)をやるなど、根気強く続けていくことが必要です。私たちも保護者と共にいつか子どもの心に大輪のきれいな花が咲くことを信じて、教育・保育にかかわっていきたいと思います。

園長 石川 健

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