子ども達を私のところに来させなさい(マルコ10:15)2023年4月保育聖句
『子供たちをわたしのところに来させなさい。』
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 (マルコによる福音書 10章14~15節) |
つい先日、かえで組の子供たちが巣立っていったと思ったら、感慨にふけっている間もなく、新たな年度を迎えることとなりました。全ての教育機関は、このようなサイクルで動いています。新年度では退職をした職員、異動になった職員、新たに採用された職員など、いままでの職員体制と少し変更があります。このように、新体制で各こども園が夢と希望に満ちて素晴らしいスタートをきれることを心から感謝します。
さて、今月の聖句は、4月のスタートにふさわしいとても素晴らしい聖句です。
イエス様が来られているという話を聞いて、多くの群衆が集まりました。そんな中、イエス様に触れていただくため、人々が子供を連れて来たのですが、それを弟子たちは叱り、妨げようとしました。きっと、子供など来れば大騒ぎをして、多くの人に宣教を行っているイエス様の邪魔になると考えたのでしょうか。ところが、これを見ていたイエス様は弟子たちの行為にお怒りになり、子供たちを自分の近くに招き入れ、膝に乗せ、子供たちを抱き上げて、手を置いて祝福されました。
聖書の中で、イエス様がいかに子供を大切にされているかということがとてもよくわかります。この時代も現代も、大人中心の社会では子どもは低く見られる傾向にあります。私たちは、何かにつけまだ子供だからとか、子供にはどうせできないなどとすぐに考えがちです。もちろん、大人に比べると子どもにできることは少ないかもしれません。でも、私たちが持っていないものを子供たちはたくさん持っています。いろいろなことに興味を持ち、目を輝かせ、嬉しい時にはそれを全身で表し、悲しい時は大声で泣き、くやしい時、思い通りにならないときには大きな声を出したり、道に寝転がったりします。また何かあっても立ち直りが早く、大人のようにはあまり根に持たず、喜怒哀楽を意図的にコントロールしません。私たちもかつては子どもでした。しかし、成長と共に優しさ・思いやり・正義感など多くの道徳的価値を学び、身に着けると同時に、意地悪・嫉妬・ずるさなども学び、身に着けてきました。私たちは、自分以外の価値観の違う他者との共生の中で社会を形成しています。私たちがもし、自己の利益だけを優先させ他者を顧みることかなければ、社会からは孤立します。今月の聖句でイエス様が言っている「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決して入ることができない。」といのは、ありのままの子供たちの姿のことをおっしゃっているのだと思います。少なくとも計算された大人の行動ではないということです。
山梨英和のこども園では、キリスト教保育を中心に子供たちの情操を育てていきます。職員は子供たちの素晴らしいところをたくさん見つけ、それを子供たちに伝えます。すると子供たちの心は、みるみる成長します。また、子供たちには目に見えない長所、私たちが気付かない長所もたくさんあります。それを見つけ、子供たちに伝え、一緒に喜ぶことが教育だと私たちは信じています。もし、長所のない子がいたとするとそれは長所がないのではなく、周囲の大人がその子供の長所を見つけられないだけなのです。
子供たちが、「落ち着きがない。」「集団になじめない。」「大声を出す。」「指示に従わない。」などを心配したり、不安をおぼえたりする親御さんもいるかもしれません。でも、一見短所に見えることもなぜなのかを考えて寄り添うことが私たちの責任だと思います。「うちの子は〇〇ができない。」という前に、「うちの子は、素晴らしいところをたくさん持っている。」ということを、私たちは親御さんと一緒に探していきたいと考えています。今月の聖句が私たちに語っていることをしっかりと受け止め、実践していきます。
さあ、カートメルこども園、ダグラスこども園、プレストンこども園のみなさん、みんなで素晴らしい1年を過ごしていきましょう。
園長 石川 健