喜ぶ人と喜び、泣く人と共に泣きなさい(ローマ12:15ー16)2024年2月保育聖句
『 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 』
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、全ての人の前で善を行うように心がけなさい。 (ローマの信徒への手紙 12章15~16節) |
新しい年を迎え、3学期がスタートし1か月がたちました。コマ回し、たこ揚げ、餅つきと子供たちは昔から伝統的に行われている正月遊びを満喫しました。「園長先生、見てて」と子供が一生懸命コマを回そうとしますが、なかなかうまく回りません。何回も何回もあきらめずにやっているうちにやっと回るようになります。「見てた?」と嬉しそうに言われると「見てたよ。凄いね。」と答えます。満面の笑顔で、喜ぶ子供の姿をみるとこちらも心から嬉しい気持ちになれます。
私が、中学校教員として最後に担任した生徒たちの話を少ししたいと思います。ある中学校で私が担任をした1年1組の生徒の三分の二は、ある小学校からの生徒でした。そして、その生徒たちは小学校6年生の時に学級崩壊を経験したということでした。学級崩壊とは、簡単に言ってしまうと担任その他の教師の指示に従わず、授業も成り立っていない状態を指します。どんな生徒が入学してくるのか、ワクワクしながら入学を待ちました。ところが、入学してくるとその生徒たちは、担任の指示にきちんと従える素直な生徒たちでした。そこで、私は学級や部活などで起こる課題を解決する方法として、学級討議を取り入れ、議長指導を行い、クラス全員で合意したルールに基づいて、話し合い活動を続けました。はじめは、「掃除中に遊んでいる生徒に対してクラスとしてどのような対応をするか?」という問題から始まりましたが、そのうち「クラスの〇〇さんに対して、数名の男子がからかうようなことを言っていて、〇〇さんはとても傷ついている。」などいじめや仲間外れにつながるような兆候を生徒たちが自らとらえ、学級の問題として取り上げるようになりました。生徒たちは、自分たちの学級討議によって課題解決をしていくという方法にとても誇りと自信を持つようになり、学級集団作りがより良い方向に進んでいく姿を、私も担任としてとてもうれしく見守っていました。
また、このクラスは運動の得意な生徒が揃っていて、文化祭の体育部門では、全ての競技で1位を取りました。こんなことは中学校教員になってから初めての経験でした。1年1組が1位を独占し始めると面白い現象が起こりました。それは、気が付くと他の全てのクラスが団結して、1組の対戦相手を応援し始めたのです。完全に四面楚歌状態です。そんな中、その迫力に恐ろしくなったある気弱な生徒が「1つくらい負けた方がいいのではないか?」と発言しました。するとそれを聞いていた他の生徒が「はじめから負ける勝負なんてない。どのクラスも全力で頑張っているのだからわざと負けるなんて相手にとって失礼だ。」と言って、弱気な意見を打ち消しました。結果は、完全優勝でした。教室には、貼り切れないくらいの賞状が並びました。それからしばらくは、授業でほかのクラスに行くと「先生のクラスはずるい」とかいろいろ言う生徒がいましたが、2,3日でまた元の日常に戻りました。
今月の聖句ですが、『喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣きなさい』と言うのは簡単で分かりやすい言葉ですが、実践するのはなかなか難しいことです。それは、私たちの心の中に他人の成功をねたみ素直に喜べない部分があるからです。もしかしたら、何かうまくいって喜んでいる人を見ると、不愉快に感じたり、その人の失敗を願ったり、失敗を喜んだりすることがあるかもしれません。でも、こども園の子供たちは、お友達が喜んでいれば一緒に喜び、お友達が困っていれば自分も困ったり、お友達が泣いていれば自分も悲しい気持ちになったりします。聖書は、私たちに簡単に出来ないからこそ、人はこうあるべきだということを投げかけてくれているのです。ウクライナ、パレスチナのガザ地区などいまだ戦火が止まず苦しんでいる人々がいます。また、元旦に起こった能登半島での地震でも日常の生活を奪われて人がたくさんいます。子供たちは毎日、自分たちのことばでお祈りしています。
園長 石川 健