『受けるよりは与える方が幸いである』(使徒言行録 4章34~35節)2025年1月保育聖句
『受けるよりは与える方が幸いである』
ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働 いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が 『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をも って示してきました。 (使徒言行録 4章34~35節) |
こども園に着任してから4年。4度目の新年を迎えました。私は毎年目標を掲げ、何をすればこども園がもっともっと子どもたちにとって喜びに満ち、子どもたちが他者とのかかわりの中で、自分を自由に表現し、自らを伸ばしていくことのできる場になるのかを考え続けてきました。そして、できたこともありましたが、できなかったこと、掛け声だけで終わってしまったこともたくさんあり、反省しています。
江戸から明治になった時、政府は近代化を進めるため、多くの外国人教師、技師、医師等を招きました。その中に、ベルツというドイツ人の医師がいました。ベルツは、東京医学校(後の東京大学医学部)に着任し、日本の医学の発展に大きく貢献しました。そのベルツの残した言葉です。「種を蒔き、木を育てることをせず、実を採ることしか知らない者は、成功への道を歩むことはできない。」私たちの日常も自分ではあまり努力をせず、楽をして何かを得ようとすることも多いのではないかと思います。そのことがすべて悪いということではありませんが、自ら種を蒔き、自ら育て努力して何かを得るということは非常に大切なことだと思います。
私は、事情があって新潟県で高校生活を送りました。その高校で、私の人生観、価値観は大きく変わりました。その理由の1つが、教育課程の中に「労作」という授業があったことです。労作の授業でやったことは、ごみを捨てるための大きな穴を掘ったり、畑を耕して農作物を育てたり、冬になると学校周辺の道路の雪かきもしました。年に一度、村上市の茶畑に行き、茶摘み労作も行いました。「労作」の授業には評価がありました。私は、この「労作」の授業だけは頑張ったつもりでしたが、いつもB評価で、Aを取ることができませんでした。(自分では頑張っているつもりでも教師から見ると怠けているように見えたのでしょうか。先生がいると急に大きな声で前向きなことを言うY君はAでした。)その後、私は中学校の教師となりましたが、自分自身の教育観の根底にあったのが「労作」の経験でした。学力なんて必要ありません。必要なのはやる気のみです。「何か(誰か)のために汗を流して頑張ることは、素晴らしい事なのだ。」ということを生徒たちにわかってもらいたかったのです。「労作」の原点は、玉川学園の創設者である小原國芳先生でした。小原先生は、当時の公立学校の画一主義、点取り主義を批判し、自由主義の個性を貫く全人教育、労作教育を大切にしてきた尊敬すべき教育者です。日本の学校教育が長い間、学力至上主義、一部のエリートの育成を目的としてきた時代に、全く違う視点で教育を考えました。
今月の聖句は、パウロがエフェソを離れる時に長老たちに述べた言葉で、パウロが唯一引用したイエス様の言葉です。私も含めて、与えられることが当たり前になっていると、感謝の気持ちがだんだん薄れ、与えられないことを不満に思ったりすることがあります。私がある中学校で担任をしている時、ほぼ毎日遅刻してくる生徒がいました。遅刻の理由を聞くと「朝起こしてくれない、お母さんのせいだといいました。」これを聞いていた他の生徒たちは、非常に驚き、大ブーイングが起こりました。そして、友だちは口をそろえて言いました。「お母さんは悪くないよ。」「僕も時々遅刻するけど、それは遅くまでゲームをしていて起きられなかった自分が悪いからだ。」遅刻の理由を母親のせいにしていた生徒はその日、母親に謝ったそうです。こども園では、毎年かえで組(年長)が、新しい環境で不安を抱えている、はと組(年少)の子どもたちのために「なかよしパーティー」を行っています。年長(一部年中)の子どもたちは、どうしたら、はと組に喜んでもらえるかを必死に考えます。そして「なかよしパーティー」当日、歌、ダンス、ゲームなどをしてみんなで楽しみ、最後に手作りのメダルを首からかけてあげます。誰かのために何かしたいという心、喜びは確実に育っています。
園 長 石 川 健