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カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2017/12/27

「これは主の御業(みわざ)、わたしたちの目には驚くべきこと。」 詩編118編23節(2017年6月保育聖句)

「これは主の御業(みわざ)、わたしたちの目には驚くべきこと。詩編 118編23節

素直に驚きを語っている今月の保育主題の聖句を読んで、ある言葉を思い出しました。「わたしたちの多くはまわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。しかし目にはしていながら、本当には見ていないことも多いのです」という言葉です。これは環境汚染と自然破壊の実態を世にさきがけて告発し、農薬の使用制限をはじめ、地球環境への人々の発想を大きく変えるきっかけとなった名著『沈黙の春』の著者で海洋生物学者の レイチェル・カーソン(1907‐1964)が『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳佑学社)の中にある言葉です。

この言葉の直前に著者はこう記しています。

こどもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かちあってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

「生まれつきそなわっている子どもの『センス・オブ・ワンダー』」が、聖書のいう「これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと」という素直な感動を生み、澄みきった洞察力、畏敬すべきものへの直観力を育むのです。そのためには「世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、少なくても一人、そばにいる必要がある。」でもそう聞くと、それでは私達はどうしたらよいのか戸惑います。そんな私達にレイチェル・カーソンはこう記します。

子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない(と私は思う)。子どもたちが出会う事実の一つ一つが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、様々な情緒や豊かな感受性は、この種子を育む肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕す時です。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものに触れた時の感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などの様々な形の感情がひとたび呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識はしっかりと身につきます。

幼い甥を引き取って、その子と共に歩む中で見いだされた一つの確信、キリスト者でもあった科学者が残した大切なアドバイスとして、私達の心に留めつつ保育、教育、養育にあたりたいと思います。

園長 大木正人

 

 

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