「空の鳥をよく見なさい。…あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」マタイによる福音書6章26節(2018年6月)
「空の鳥をよく見なさい。…あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」
マタイによる福音書6章26節
6月の保育主題の聖書の言葉は、イエス・キリストの「山上の説教」(マタイ5〜7章)から取られています。イエス様がガリラヤ湖畔の小高い山で弟子たちや人々に語られた教えです。その中でイエス様は「自分の命のことで何を食べ、何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」、「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、庫に納めもしない。だがあなたがたの天の父は鳥を養って下さる」、「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい」と教えられました。
私達は悩み尽きない者です。大きな事、小さな事、私達の毎日は迷いと悩みの連続です。思い悩むな」といわれても、なかなかそうは行きません。神様を信じていても悩みます。悩まなければ分からない大切な事もあります。イエス様がいわれた「思い悩むな」とはどのような意味なのでしょうか。「神の国と神の義を求めなさい」とはどういうことなのでしょうか。
私達は思い悩むとすべてを自分1人で背負い込み、心身をこわばらせ、他人や自分を裁きがちです。そんな時こそ周囲の目を向けてよく見てごらんとイエス様はいわれます。仰角(ぎょうかく)5度、俯角(ふかく)1度といわれます。仰ぎ見る5度、視線を落とす1度の目の動きが私達には最も心地よいと心理学ではされるそうです。辛い時こそ心を天に、眼差しを大地に向けてみる。そうすると大切なことが見えてくる。喜びのありかを教えて下さるイエス様は優れたカウンセラーです。
大空を飛ぶ鳥、大地に咲く花、吹き抜ける風、その一つ一つが神の恵みです。そのことを語るイエス様の足下にはきっとシクラメンやチューリップ、アイリスの原種の花が咲いていたことでしょう。人々からは害鳥などと嫌われる鳥も雑草と厭われる草も神様は育まれます。そもそもそうした呼び名は人間の都合による一方的な言い方に過ぎません。神様にはどれもみな愛しいものです。私達はそんな神様の豊かで広い恵みのなかを、今、生きているのです。
イエス様はそれを「神の国」という言葉で表現されました。「神の国」とは聖書では神様の確かな御支配を意味する言葉です。神様が全てを支え、心を砕き、配慮して下さっている。だから私達はまるで望みがないかのようには思い悩まない。なるように信じて、希望を持って為しうることを為す。神様がすべてをよい事へと導いて下さるからです。辛く悲しいことばかりのように思えるこの世界にも神様の恵みのご支配がある。それを信じるところに私達の勇気と希望の源があります。この世界には恵み深い神様の正しさ(神の義)が貫かれている。私達はそう信じます。だからイエス様は「思い悩むな」と言われたに違いありません。
詩人で作家の宮沢賢治は亡くなる一週間前、かつての教え子にこう書き送ったそうです。
風の中を自由に歩けるとか、はっきりした声で何時間も話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝えるとかいふやうな事はできない者から見れば神の業に均しいものです。
そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。
どうか今のご生活を大切にお護りなさい。上の空でなしに、しっかりと落ち着いて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。
園長 大木正人