お知らせ

トップページ > "ザァカイ"先生の園長通信 > わたしは植え、アポロは水を注…
カテゴリ:"ザァカイ"先生の園長通信|全体のお知らせ 投稿日:2018/10/01

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。 (2018年10月保育主題)

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

(コリントの信徒への手紙 一 3章6節)

 

 人が集まるところには、対立とまでは言わないまでも、考え方の違いからくる緊張関係が常にあるものです。私たちはそうした現実にどのように向き合い、考えればよいのでしょうか。今月の保育主題の聖書の言葉はそのことに苦慮した伝道者パウロの言葉です。

パウロが書いた手紙の宛先のコリントは当時とても栄えていたギリシアの都市です。彼は紀元55年頃にその地を訪れてイエス・キリストの福音を宣べ伝え、いろいろ苦労をしながらも教会の基礎を据えます。そこまでするとパウロはその後を同労者のアポロに託して自分は新たな地での伝道に赴きます。アポロはパウロの期待通り、生まれたばかりの教会を一つの組織として整えていきます。パウロはキリスト教会の土台を据え、アポロは据えられた土台の上に教会を作り上げたわけです。二人はタイプも能力も違いますが、それぞれの持ち味、能力を遺憾なく発揮してキリストの福音を証し、宣べ伝えました。

ところがしばらくするとコリントを離れていたパウロのもとに教会の現状について憂慮すべき事態を告げる深刻な知らせが届けられます。その一つに教会の人たちがパウロ派、アポロ派などに分かれて対立しているという知らせがありました。パウロはこの事態に驚き、悲しみながら次のように書き送ります。

アポロとは何者か。またパウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。(3章5節)

 今月の保育主題の聖書の言葉が出てくるのはこの言葉の直後です。大切なことを教えてくれた人を特別に感じるのが間違っているとは言えません。むしろそれは人としてはごく自然な感情でしょう。しかし問題なのはそれに引きずられて本末を転倒してしまうことです。アポロもパウロも「それぞれ主がお与え下さった分に応じて仕えた者」に過ぎないのです。持ち上げてはいけません。ほめたたえられるべきはその人たちをお遣わし下さった神様以外にはおられません。また人は自らが「主がお与え下さった分に応じて仕え」ることを心に記して、わきまえと謙遜をもって歩まねばなりません。

そのことを考える時、「しかし、成長させてくださったのは神です」という一言はなんと嬉しい言葉でしょうか。私たちには誰にでも向き不向きがあり、得意、不得意があります。できることとできないことがあります。そんな私たちに聖書は、「しかし、成長させてくださるのは神です」と告げるのです。万事について、その完成はすべて神様がもたらしてくださる。私たちはこのことを信じて、最後は神様に委ねつつ、お互いを尊重し、助け合いながら自分にできることを果たせばよいのです。ひとつひとつに誠実に向き合えば、すべてを神様が「成長させてくださる」のです。そのお方にあって「万事が益となるように共に働く」のです(ローマの信徒への手紙8:28)。信仰とは、私たちのこわばった心身を解き放ち、軽くしてくれる神様の言葉に出会い、委ねることでもあるのです。

園長 大木正人

ページの先頭へ戻る