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カテゴリ:"ザァカイ"先生の園長通信 投稿日:2020/02/01

「このように主によって、しっかりと立ちなさい」2020年2月保育主題

このように主によってしっかりと立ちなさい。

               フィリピの信徒への手紙4章1節

 「しっかりと立ちなさい」という今月の保育主題の聖書に触れて、ある詩を思い出しました。「倚(よ)りかからず」という題の詩です。

 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

 

 作者は茨木のり子さん(1926-2006)。73歳の時の作品です。「戦時下で体験した飢餓と空襲の恐怖が命を大切にする茨木さんの感受性を育んだ」といわれます。「できあいの宗教には倚りかかりたくない」という一句は、山梨英和の園長としてキリスト教に関わる私にはこたえますが、詩人が言わんとすること、自分が一個の自立・自律した者でありたいとする覚悟や矜持には共感を覚えます。その上で思うのは、そうした「できあいの」ものに安易に倚りかからない独立不羈の精神はどのように育まれるのか、何に支えられるのかということです。
それは、人が誕生から4歳児までの乳幼児期にどれくらい身近な人達から愛され、それによって基本的信頼を得たかによるというのが、一つの答えとしてはあります。「望んだこと                  
を、望んだとおり十分にしてもらえた子どもの方が、人を信じる力と自分を信じる力を同時に豊かに身につける。」この時期に基本的な信頼を持てた子どもは、次の発達段階で自分を律し、衝動や感情をコントロールすることと社会のルールを守る自律性が育てられていくと児童精神科医の佐々木正美さんはいっています。(『子どもの心はどう育つのか』ポプラ社より)

心の発達に着目すればそうなのだろうと思います。しかし多くの破れや限界を持つ「私」という存在が、一個の自立・自律した者としてあり続けるには、命の源である全能の神様による根源的な支え、確かなゆるしと力添えが常に変わらずにあることを心に記す必要があるのではないか、と私は思います。聖書はそのことをさして「主によってしっかり立ちなさい」といっているのではないかと思うのです。

「自立」の項を辞書でひくと〈他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに存在すること〉とあります。英語で自立はindependence。寄りかからないこと、依存しないことを表しますが、人が作ったものに安易に倚りかからない、真に自立・自律した者となることは、神に依り頼み、信頼することから始まると私は思います。「信じなければ、あなた方は確かにされない」という印象的な言葉が聖書にあります(イザヤ7:9)。

大木 正人

 

 

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