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カテゴリ:園長通信 投稿日:2024/09/01

『主において常に喜びなさい。』(フィリピの信徒への手紙 4章4~7節)2024年9月保育聖句

『主において常に喜びなさい。』

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に

知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。                (フィリピの信徒への手紙 4章4~7節)

 

 今年は戦後79年目を迎えます。したがって、日本が終戦を迎えた1945年に生まれた人は、今年79歳になります。8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下され、その後日本は連合国によるポツダム宣言を受諾し、8月15日に終戦を迎えました。広島、長崎では、毎年8月6日と9日に原爆によって犠牲になった人々を思い平和記念式典が行われ、8月15日には政府主催の「全国戦没者追悼式」が実施されます。

 また、日本ではあまり知られていませんが、韓国では8月15日を「光復節」といって、日本の敗戦により、韓国(朝鮮)が日本の統治から解放され、自主独立を取り戻した日とされています。いずれにしても、毎年8月が戦争と平和を考える機会となっています。そして戦争体験者が年々少なくなる中、過去の教訓に学び、再び戦争への道を歩むことが無いよう若い世代に伝えていく重要性を強く感じます。ですから、私たちはウクライナ、パレスチナのガザ地区をはじめ、世界中で行われている戦争、紛争、迫害、虐殺などにも関心を持ち、人の命が安易に奪われる現実を深く心にとめ、平和を願う人間であり続けなければならないと思います。

 今夏フランスのパリで行われたオリンピックでは、多くの名場面がありました。その中で私が最も印象的だったのは、柔道女子52kg級に出場し、2回戦で敗退した阿部詩選手が大声で泣き崩れるシーンでした。そのことについて、批判的な意見もあるようですが、金メダルを取るためだけに頑張ってきた、当事者にしかわからない多くの思いがあったのだろうとなぜかジーンときてしまいました。金メダルを期待され、ある意味日本を背負って試合に臨んだ重圧もものすごかったのだろうと思います。

 このように、全ての人には喜怒哀楽の感情があります。うれしいことがあったら思い切り喜び、許せないことがあれば怒り、悲しいことがあれば泣いたり、落ち込んだりします。私たち大人は、子どもと違い喜怒哀楽をある程度コントロールすることができます。悲しいことがあっても、人前ではそれをあまり出さず平静さを装ったりします。オリンピック柔道競技では、勝った選手が喜びのガッツポーズをする場面が良く見られます。しかし、武道である剣道や相撲ではガッツポーズは許されません。相撲で以前、横綱朝青龍が勝った後ガッツポーズをしたところ、相撲協会から厳重注意を受けました。これは、スポーツと日本固有の武道との大きな違いです。剣道も相撲も蹲踞(そんきょ)をして始め、蹲踞をして終わります。「礼に始まり礼に終わる。」勝っても負けても相手に対する礼を尽くすことが何よりも大切にされています。

 さて、今月の聖句は『主において常に喜びなさい。』です。人間の感情は非常に複雑です。人によって笑いのスイッチ、怒りのスイッチ、哀しみのスイッチが違います。でも、常に喜んでいることなんて決してできません。聖書は私たちに無理なことを強制しているのでしょうか?私たちには、自分の力ではどうにも解決できないことがたくさんあります。苦しみのドン底にある時、家族や親しい友人に相談できる人はよいのですが、相談相手がいなくて悩み苦しみを一人で抱え込み、自分を追い込んでしまう人も多くいます。でも今月の聖句をよく読んでみると「常に喜んでいなさい。」の前には、「主において」とあります。その後には、「主はすぐ近くにおられます。」と書かれています。さらに、「神に打ち明けなさい。」とも言っています。私たちの打ちひしがれた心、絶望、自分の力ではどうにもできないことがあった時にも、主イエスは、全てをわかっていてくれて、私たちの近くにいて慰めを与えてくれるのです。したがって、「常に喜ぶ。」とは、自分の努力や強い信仰によるのではなく、無条件で主イエスの力が私たちをより良い方向へ導いてくれるのです。

 世の中には、素直に喜べないことが無数にあります。でも、子どもたちの笑顔が失われることがない社会の実現を心から祈りたいと思います。

園 長  石 川  健

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