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カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2016/07/05

「探しなさい。そうすれば、見つかる。」 マタイによる福音書7章7節(2016年7月の保育聖句)

「探しなさい。そうすれば、見つかる。」 マタイによる福音書7章7節

 

 今月の保育主題の聖書の言葉を考える中である絵本を思い出しました。ガブリエル・バンサンの『ナビル‐ある少年の物語‐』です。先生が話してくれたピラミッドに魅せられた少年ナビルがそれを見に行く物語です。文章は少なく、柔らかな鉛筆でサッと描かれたような人物や、動物の表情が何とも言えない味わいを持っている絵本です。扉のページに記されているのはこんな言葉です。

ナビルは見たくなった。一番大きなピラミッドというものを、

自分の目で確かめたくなった。砂漠を歩き、ひたすら歩いて行って、

確かめるんだ…。一年もの間、ナビルはそのことを夢みていた。

その夢がいつかかなうことを、願い続けてきた。

 

しかしナビルの願いに周りの大人は無理だ、ダメだ、遠すぎる、あきらめよと忠告するばかり。でもナビルはどうしてもピラミッドをひと目見たい。ついに彼はそれがどこにあるのかも知らないまま、無謀にも家を出てしまいます。勿論不安はあります。「ちゃんと行き着けるかなぁ。やっぱり無理なのかなぁ」という言葉が記されている場面の何とも心配そうなナビルの表情が印象的です。しかしナビルは歩き続けます。途中、ナビルはそっと手を貸してくれる何人もの大人に助けられます。

旅の後半では、「何でも知っている」一人の大人と出会い、その人のロバに乗せてもらいます。そしてついにナビルは砂漠の彼方にピラミッドを見ます。その時のナビルの表情!それまではぼんやりと暗いタッチでラフに描かれていた少年が、このとき初めてその目鼻立ちまでしっかり描かれます。見開いた目、すこし膨らんだ鼻穴、半開きの口。憧れのピラミッドを初めて目にした少年の興奮、喜び、嬉しさ余っての戸惑い…。彼の心臓が早鐘を打つ音さえ聞こえてきそうです。しばし感動で息を飲んだ少年は、やがてゆっくりと歩き出し、いつしか両手を広げピラミッドめざして走ります。ついに彼はあこがれのピラミッドに触れ、その石に自分の手を置いて、抱きしめます。そんな少年の姿を遠くから微笑みながら見つめているのが、この間ずっと一緒に歩いてくれた「何でも知っている」老人とロバです。その表情の何と優しく素敵なこと!私にはこの老人は神様で、少年を載せて歩んできた一頭のロバはイエス様のように思いました。このあとナビルはこの人からロバを譲られて家に帰ります。「自分だけの宝物になったピラミッドを胸に抱いて、その先の人生に歩み出す少年の姿が忘れがたい」(訳者今江祥智の言葉)作品です。

 

「探しなさい。そうすれば、見つかる」という言葉が語るのは、私達を「その先の人生に歩み出」させる本当に大切なものを探し求めることの重要性と、その思いは決して徒労に終わることはないという励ましではないでしょうか。私達は誰もが皆、一人の少年ナビルあると同時に、また一人の大人としてこども達の胸の奥深くにある止みがたい思いを見守り、導く者でもあります。本当に大切なものは何か。そのことを胸に抱いて迷いながら、不安を持ちつつ歩んでいる私達一人一人を神様は微笑みながら見守っていて下さいます。

園長 大木正人

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