「あなたの未来には希望がある」 エレミヤ書31章17節(2018年3月)
「あなたの未来には希望がある」 エレミヤ書31章17節
2017年度末を迎えました。卒園の日が間近になった年長の子ども達、進級を控えた在園児、みんなが成長したこの1年に感謝を込めて贈りたいのが、今月の保育主題の聖句「あなたの未来には希望がある」です。しかし希望という言葉について、「現在の日本の状況を考えるとき、教室で『希望』という言葉を発することに躊躇を覚える。『希望』という言葉が空疎だと感じられる」という声も聞かれます。先の言葉はある雑誌に紹介されていたものです。子どもたちが生きる社会の現実、この先の世界について考えると、なんともしれない未来への不安もあって「希望」を語ることにためらいとむなしさを覚えるというのです。無理からぬ感想に思えます。魯迅の小説『故郷』には、「思うに希望とは、もともとあるとも言えぬし、ないとも言えない。それは地上の道のようなものである。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」という印象的な一句が思い出されます。「日本の状況を考えるとき」「希望」は「あるとも言えぬし、ないとも言えない」空疎なものに感じられても仕方ないような気もします。
このような私達に対して聖書ははっきりと「あなたの未来には希望がある」と宣言します。この言葉が語られた時の「状況を考えるとき」、そのメッセージには特別な重さがあります。この言葉は戦争によって祖国が滅ぼされ、多くの同胞が殺され、また捕囚となった破局の真只中で語られているからです。預言者エレミヤは戦争によって子どもを殺された母親達の中で、愛する者を奪われた人々の間で、すべてを失って茫然自失する人達に向けて、もはや生きる希望も未来もないと嘆き、悲しむ人達の傍で、「苦悩に満ちて嘆き、泣く声が聞こえる」その只中から、悲しみの余りもはや神様さえ信じられない人々に向けて、この言葉を語ります。「泣き止むがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる。あなたの未来には希望がある。」エレミヤは神様からの希望の言葉を伝えます。
しかしその言葉は悲嘆にくれる人々には理解されませんでした。エレミヤは激しい非難にさらされて孤立します。彼もまた「苦悩に満ちて嘆き」悲しみ、涙します。「泣くな。目から涙をぬぐえ。苦しみは報われる。希望はある」という慰めは、誰よりもまずエレミヤその人をも励ます言葉です。彼自身がこの言葉によって支えられ、未来に希望を抱いて立ち上っているればこそ、彼はこの言葉を人々に伝えずにはいられないのです。
エレミヤが生きたのは今から2600年前ですが、その時代の人々も今の私達と同じように、経済力や政治力、軍事力こそが要であると考えて、神様によって生かされていることを自覚して慎み深く生き、お互いを労わることを疎んじました。人はとかく自らの力のみに依り頼み、それが危うされると無力感にさいなまれ、希望を見失ってしまいますが、そうであればこそ、私達は命の源である全能の神様の揺るぎないご支配のあることを心に刻み、「あなたの未来には希望がある」と告げる神様に応えて、今ここでその責任を果たす者でありたいと思います。
「知恵を見出すなら将来があり、希望は断たれることはない。」と旧約の箴言24章14節にあります。畏れと慎みを知る真の「知恵」ある者には未来があり、希望がある。幼い人達と共に心に記したいのはそのことです。
園長 大木正人