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カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2018/08/20

「わたしは良い羊飼いである」 ヨハネによる福音書10章11節(2018年5月)

「わたしは良い羊飼いである」  ヨハネによる福音書10章11節

「羊はヤギ科に属するがヤギと違って草だけを食べる。食べる時は貪欲で根っこまで食べてしまう。視力はすぐれていて頭を動かさずに自分の背後まで見ることができる。しかし奥行きはあまり知覚できないので影や地面のくぼみにひるんで先に進めなくなることもある。性格は臆病で自衛力がなく、地理のわきまえがないので迷いやすく群れたがる性質を持っており、群れから引き離されると強いストレスを受ける。先導者に従う傾向がとても強い…。」

羊について記された文章の一部です。「奥行きはあまり知覚できない」。「臆病で」「わきまえがなく」「群れたがる」。「先導者に従う傾向がとても強い」。読んでいて自分を含めた人間の集団について言われているようで思わずドキッとしました。

そんな羊たちの世話をするのが羊飼いです。聖書時代の羊飼いは毛織の上着を着て、夜はそれを寝具代わりにしたそうです。手には樫の杖と投石袋を持ち、それでもって昼夜、強盗や野獣から羊の群れを守ります。羊飼いは命がけの仕事ですが、仕事がら定められた礼拝や掟が守れないために蔑まれた貧しい職業だったと言われます。

羊も羊飼いも私たちには少し縁遠い存在かもしれませんが、聖書を伝えた人たちにはとても身近でした。それらにたとえてイエス様はご自分と人々との関係を語られました。いわく「わたしは良い羊飼いである。」「良い」と言われるのは「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」からです。聖書の他の箇所によれば、「失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。」何よりも「公平をもって養う」のが「良い羊飼いです」(エゼキエル書34章16節)。イエス様はまさにそのようなお方です。そしてまた神様もそのようなお方であるとキリスト教では考えます。

ところで羊は聴力が優れているので羊飼いの声を聞き分けられるそうです。声だけではなく、人や他の羊の顔も見分けて何年も記憶でき、顔の表情から心理状態も羊は識別できるという研究もあるそうです。その意味では「羊もわたしを知っている」というイエス様の言葉はとても正確です。羊と羊飼いの麗しい関係を歌った有名な詩が旧約聖書にあります。「主は羊飼い。私には何も欠けることがない」という言葉で始まる詩23編です。私たち一人一人の名を呼んで、見守り慈しむ「良い羊飼い」に神様をたとえ、このお方と共にある喜びを歌っています。

しかし現実はどうでしょうか。私たちはこの「良い羊飼い」の声を聞き分け、その思いに心を澄ませ、視野を開いているでしょうか。「良い羊飼い」に信頼し、その後に従い、ならおうとしているでしょうか。慌ただしい毎日であればこそ、時には立ち止まり、そのことを思い巡らし、ことがらの奥行きを見極められる知恵を育んでいきたいと思います。

園長 大木正人

 

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