お知らせ

トップページ > 全体のお知らせ > 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」 マルコによる福音書6章50節(2018年8月)
カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2018/08/20

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」 マルコによる福音書6章50節(2018年8月)

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」 マルコによる福音書6章50節

 5つのパンと2匹の魚を分かち合って多くの人々との豊かな食事を済ますとイエス様はすぐに弟子達を湖の対岸の町に遣わされました。あたりには夕闇が迫っていました。夜になる前にしなければならない事がたくさんありました。ユダヤでは日没から新しい一日が始まるとされていましたから、神様の恵みと力を受けた人々にはその一日に向けて歩み出してほしいというお気持ちもイエス様にはあったことでしょう。

 人々を送り出すとイエス様は一人、小高い山に行かれました。イエス様は皆と過ごす事を大切にされましたが、一人になって祈ることも大事にされました。それがイエス様の力の源でした。祈る中でこそよくわかる、与えられるそういうものがあるからです。私達もまた祈りを大切にして、他者との豊かな関わりを築ける者でありたいと願います。

 ところでイエス様は祈る中で、対岸の町に向けて小舟で湖に漕ぎ出した弟子達が思いがけない逆風にさらされて漕ぎ悩んでいることに気づかれます。その湖で漁師をしていた弟子達が漕ぎ悩むほどの大変な危機でした。それを知るとイエス様は夜が明ける頃、湖の上を歩いて弟子達の所に急ぎます。夜が明ける頃とは闇が最も深くなり、空気も冷え込む時です。疲れや恐れがピークに達する時です。その只中にイエス様は湖の上を歩いて弟子達の所へ来られたというのです。

 湖の上を歩いて来た?信じられない事です。弟子達は思わず「幽霊だ!」と叫びました。昔の人は信じやすくて、現代人の私達には信じられないという訳ではありません。昔も今も信じられないことなのです。しかし聖書は、イエス様を救い主キリストであると信じる人々は、イエス様はこのように表現するのが最も相応しい驚くべきお方なのです。だからあえてこの事を書き記し、今日まで伝えました。

弟子達がさらされている危機は人の力ではどうにもできない過酷な現実の象徴です。突然襲ってくる逆風は私達の生活を飲み込み、覆す悲しい出来事のことです。私たちはそんな現実の只中にいるのです。イエス・キリストは、しかしその大波や逆風をもろともせず、私達のところへ来て下さる。そして私達に困難を乗り越えて前に進み行く勇気と力をお与え下さる。たとえ事態がどんなに暗く、苦しく、不安が募り、悲しみが大きく、闇が深くても、イエス・キリストは私達を見守り、近づいて来て下さる。そして「安心しなさい。私がここにいる!恐れるな」と声をかけて下さる。その声は、うろたえ、絶望し、嘆き叫ぶことしかできない弟子達の声にはるかに勝って大きく、荒ぶる波風さえ凌ぐほどに力強い。この声に励まされ、この声の主を小舟にお迎えし、導かれながら弟子達は船路を進めます。

彼らが漕ぎ進める湖は私達のこの世界。キリストと共に漕ぎ進める小舟は私達の生活。その中で私達は自分の力を奮って日々を形作ります。キリストが来て、共にいて下さるのですから、闇はもはや恐れるにたりません。乗り越えられない逆風もありません。その事を心に刻みながら私達は今日という1日を丁寧に過ごす。そのことを子供達と共に覚えて行きたいと思います。猛暑の日々が続きます。自然災害、天候不順も懸念されます。皆さんの健康と安全がどうか守られますように。

園長 大木正人

 

 

 

ページの先頭へ戻る