私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(2019年3月保育主題)
私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイによる福音書28章20節)
年度末を迎える今月の保育主題の聖句は、新約聖書の始めに置かれている「マタイによる福音書」が記しているイエス・キリストの言葉です。この言葉をもって「マタイによる福音書」は、「その名はインマヌエル」「神は我々と共におられるという意味である」という言葉で始めたイエス・キリストの物語を閉じます。それだけでも印象深いことですが、この言葉がイエス様から告げられている時の様子を知ると、その思いは尚いっそう強まります。
聖書によれば、弟子たちはここで十字架刑で亡くなったイエス様と再会しています。あの晩ゲツセマネの園でイエス様が捕まえられた時、怖くなってイエス様を見捨てて逃げ出した弟子たちが復活されたイエス様と出会っています。もう二度と会えないと思っていたイエス様とここで再会しているのです。そんなとても感動的な場面のただ中に聖書はこう記します。
「弟子たちは…イエスに会い、ひれ伏した。しかし疑う者もいた。」
「疑う者もいた」というのです。この言葉の前にある「ひれ伏した」は礼拝をするという意味です。弟子たちは復活されたイエス様と出会い、ひざまづき礼拝しているのです。しかしその中に疑っている者がいたと聖書はいうのです。それもかなり否定的な感じで疑っている者がいたのです。目に見える態度ではひれ伏し、礼拝しているのですが内心は違う。そんな人が弟子たちの中に確かにいたと聖書は語っているのです。聖書とは何と正直な文書でしょうか。
しかしさらにも驚くべき事を聖書は記します。それは、この「疑う者もいた」彼らの方に、イエス様ご自身が近寄って来られ、疑う者も含めた弟子たち全員に向けて、「あなた方は行って、すべての民を弟子にしなさい」と命じられ、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と告げられたというのです。疑う者に向けて、そんな不信仰ではダメだ、ちゃんと信じなさいなどとイエス様は仰いません。あなたたちは私を裏切ったと弟子たちを責めることもされません。彼らの裏切りや疑いなどまるで気にするふうもなく、そんなことにはまったく触れず、イエス・キリストは彼らに親しく近づき、等しく祝福されます。そして「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と告げられます。
イエス・キリストには、疑う者を受け止める懐の深さがあります。迷い、うろたえ、裏切り、見捨てる者たちをさえ引き受ける度量があります。この懐の深さと度量が私たちを救います。思っている事とやっている事がいつもちぐはぐな私達を正して導いてくださいます。そして世界に向けて、勇気をもって誠実に進んでいける力をお与えくださいます。
そんな、「世の終わりまで、いつも」共にいてくださるイエス・キリストが、最後に命じられた唯一の事が、弱い立場にある人を気遣い、苦しい思いをしている人々と共におられるキリストの弟子として歩み、仲間を増し加えていくことでした。弟子とは先生に学びならう者たちのことをいいます。日々の生活の中でイエス様の言葉を思い起こし、自分なりに応えて行く。それが私たちに託されたイエス・キリストからのつとめです。そのように歩む日々の中で、私たちは共にいてくださるお方の力強さと慰めをいよいよ確かに知らされます。私たちに近づいて来てくださるイエス・キリストと共に生きる私たちは決して一人ぼっちではありません。
園長 大木 正人