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カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2019/04/01

「その人は流れのほとりに植えられた木」(2019年度 年間保育主題)

その人は流れのほとりに植えられた木(詩編 第1編3節)

 

卒園、終業の3月が過ぎ、始業、入園の4月を迎えました。新しい仲間、先生も加わって喜びのうちに2019年度が動き出しています。期待と不安、緊張と希望の入り交じる新年度の始まりにあたって、全国でキリスト教教保育に携わっている仲間達が選んだ、年間保育主題の聖書の言葉が、「その人は流れのほとりに植えられた木」という旧約の詩編の一節です。この言葉についてあれこれ考えていて以前ある本に記されていた木をめぐる一文を思い出しました。

 

木は少し離れた場所にいる仲間の木と互いに呼応し、気を放ち、励ましあうという。

街路樹は、毎日仲間で声を掛け合いながら、人間のために車の排気ガスを大量に吸って

空気の浄化に努めてくれている。(中略)木がより元気に育ち生きるためには、仲間の木

だけでなく、ときに、他の木からの刺激が必要である。刺激とは競合であり、助けでもある。

生涯を桜の保存に力を注いだ京都の有名な庭師16代目佐野藤右衛門は、先代からいつも、

桜ばかり植えるな。必ず楓も植えておけと言われた。

「桜だけ植えてもうまく育たんのや。やっぱり他のものから刺激を受けんとあかんのです。」

池田裕『聖書と自然と日本の心』より

 

 著者の池田裕はヘブライ語聖書(旧約聖書)の専門家(筑波大学元教授)です。「木は少し離れた場所にいる仲間の木と互いに呼応し、気を放ち、励ましあうという」ことに驚きましたが、それに続く文章を読みながら、記されているのは人間にも言えることではないかと思いました。「木がより元気に育ち生きるためには、仲間の木だけでなく、ときに、他の木からの刺激が必要である。」木がそうであるならば、なおのこと、私達が「元気に育ち生きるために」は、親しい家族や仲間だけではなくお互いを刺激する他者が必要です。「桜だけ植えても、うまく育たんのや。やっぱり他のものから刺激を受けんとあかんのです」という言葉は、それが「生涯を桜の保存に力を注いだ」庭師の言葉であるだけに重みがあります。

ふりかえって、幼い人達が過ごすこの園に求められるのは、そうした成長に資する「刺激」を、集団生活を通して体験し、それを一人一人が深めることを通して、様々な知恵や力を培っていくことでしょう。お互いの存在を認めて呼びかわし、励ましあうのが仲間ならば、刺激し、競合し、助けあうのが他者です。私達はそうした仲間と他者の中で生きていきます。「人が独りでいるのは良くない」と言われた神様は、「その人に会う助ける者」をお与えくださいます(創世記2章18節)。そのような私達をさして聖書は「その人は流れのほとりに植えられた木」と呼び、それに続けて「時が巡りくれば実を結び、葉もしおれることがない」と表現しているのでしょう。それは確かなことだということを、3月の卒園式で子ども達が元気に歌った「大きな木」の歌詞と声は教えてくれます。

小さな種から芽を出して/こんなに大きくなったのか/大きい木、大きい木、大きい木/

十人で抱えてもまだ手が届かない、届かない。(まどみちお作「おおきいき」2節と3節は省略)

この1年、子ども達はどんな成長を見せてくれるのか。楽しみです。

園長 大木 正人

 

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