主よ、お話しください。僕は聞いております(サムエル記上3:9)2023年5月保育聖句
『 主よ、お話しください 』
主は三度(みたび)サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。 (サムエル記上 3章8~9節) |
新年度が始まり、1か月がたちました。新入園の子供たち、進級した子供たち、それぞれが新しいクラスと新しい先生のもとで毎日汗びっしょりになって、笑顔で元気よく活動しています。2023年度がどのような年になるのか、子供たちがどのような成長を遂げるのかとても楽しみです。
さて、私たちの身の回りには多くの勘違い、聞き間違い、誤解などが多く存在します。私の個人的な勘違いを告白すると、子供のころ小学校で歌った『赤い靴』という童謡がありました。「赤い靴はいてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった。」が正しい歌詞ですが、私はずっと「赤い靴はいてた女の子、ひい爺さんに連れられて行っちゃった。」だと思っていました。これこそ、歌詞を耳だけの情報で判断したために起こった悲しい出来事です。大人になるまで勘違いが続いたのは、『赤い靴』という歌はあまり歌われない歌であり、私が間違って歌っていても誰も直してくれなかったなどが原因だと思います。
また、年齢を重ねるごとに多くの人は聴力が弱まったり、聴力を失ったりします。また、聴力が弱まると人から声をかけられても、聞こえないためリアクションをしないと、無視したと思われたり、トラブルの原因になることもあります。さらに恐ろしいのは、実際に存在しない声や物音が聞こえることです。以前、仕事を終え、家に帰り玄関のカギを開けた瞬間にコソコソと話をする人の声が家の中から聞こえてきました。恐る恐るリビングに進むと、テレビがつけっぱなしになっていました。これはこれで、恐ろしい話ですが。このように、笑い話ですむことなら、たいしたことではありませんが、聞き違いや勘違いは、時には人間関係を壊したり、けんか、争いの原因になることもあります。
今月の聖句は、旧約聖書のサムエル記です。サムエル少年は、エリという司祭のもとで神さまに仕える仕事を手伝っていました。ある夜、サムエルが神殿で寝ていると「サムエル、サムエル」と呼ぶ声がしました。サムエルが急いでエリのもとに行き「お呼びになったので参りました。」というとエリは「私は呼んでいない。帰って寝なさい。」と言われ戻って寝ると、また「サムエル、サムエル」と呼ぶ声がしました。サムエルがまたエリのところに行くと「私は呼んでいない。帰って寝なさい。」と言われました。戻って寝るとまた「サムエル、サムエル」と呼ぶ声がしました。3度目もサムエルがエリのところに行くと、エリはサムエルを呼んでいるのは主だと考え、サムエルに「もし今度呼ばれたら『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております。』と答えなさい。」と命じました。そして4度目再び「サムエル、サムエル」という声が聞こえた時、サムエルは「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております。」と答えました。
その後サムエルは、神の声を聞き人々に伝える預言者となり、イスラエル王国を成立に導きました。
私たちの中で実際に神を見た人は1人もいません。(見たような気がする人、見たと思い込んでいる人はいるかもしれません。)それでも、世界中で多くの人々が神様を信じています。同じように、神様の声を聞いた人も1人もいないはずです。見えないし聞こえないから神さまはいないのではなく、目に見えなくても直接声が聞こえなくても、神様は常に私たちと共にいらっしゃり、多くの喜びや多くの試練を与えてくださっています。
こども園では礼拝を大切にし、私たちも子供たちと共に聖書のみことばに触れ、讃美歌で神様をたたえ、世界中の困難を抱えている人々のことを思い祈ります。それは毎日の礼拝を通して、1人1人が得られるものは非常に大きなものだと信じているからです。
園長 石川 健