『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』(ルカ福音書5:4)2024年5月保育聖句
『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』
「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう。」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 (ルカによる福音書5章4~6節) |
入園式を終え、子どもたちが夢と希望と不安を持って、入園してから1か月が過ぎました。朝、母親と離れる不安から、また保育中突然母親を思い出し、「ママー、ママー、お家に帰りたい。」と泣いていた子どもも、園での生活にだいぶ慣れ、笑顔で生活するようになってきました。さんざん泣いていても、ふと気が付くと自分の近くにはたくさんのお友達がいて、先生たちの笑顔があります。
私がこども園に来て4年が経とうとしています。1年目は、年長、年中、年少組の子どもとばかり遊んでいましたが、今では0歳~2歳の子どもたちとも友達になることができてきました。そして子どもたちと毎日接することを通して、私自身が大きく変わってきたのに最近気づかされました。こども園にいる時は、常に笑顔で子どもたちと遊び、優しい言葉で子どもたちに語り掛けています。そして、それはこども園を離れて私生活の中でも、基本的に笑顔と穏やかさが、習慣として残っているようです。先日、ある中学校で私が担任をした生徒たちが何人か訪ねて来たので食事をしながらいろいろな話をしました。生徒たちが「こども園は、どうですか?」と聞くので、「泣きながらクマのぬいぐるみを投げる子どもがいると、それを拾ってきて、クマさん痛かったんじゃない?かわいそうだよ、よしよししてあげて。」とか「ピーマンを食べない子どもがいると、ピーマンさんだけ食べてもらえなくて悲しんでいるよ。」などと話をすると、みんな口をそろえて「ありえないー。想像できない。」といわれてしまいました。そして「じゃあ、先生のおだやかな表情は、こども園の子どもたちのおかげなんですね。」と感心されました。そこで私は、「大人が子どもを変えるよりも、子どもが大人を変える力の方がずっと大きいんだよ。」と先生っぽいことを言いました。生徒のうちの一人が、「私の小学生の娘は、全くいうことを聞かず、時々風呂に沈めたくなる。」といっていました。これには、「子どもはそもそも、言うことを聞かないものなんじゃないの?大人の言うことをすべて素直に聞く子供の方が、将来心配だよ。私は子どもの行動には、全て理由があると思う。言うことを聞かそうとするのではなく、子どもの心の声を聞こうとしてみな。自分は、小学生のころ親の言うことを何でも素直に聞いていたの?」とまたまた先生っぽいことを言うと。「そうですよね、私のお母さんも大変だったと思います。子どもの心の声を聞いてみます。」といって納得していました。
そもそも発達には個人差があり、子どもがどのように成長していくのかを知ることで、私たちも子どもたちの育ちを支援しやすくなります。ですから「どうしてそんなことするの?」とイライラせず、子どもの心の声(意図)を理解して、適切な指導を行っていくことが大切です。子どもたちの行動をマイナスからではなく、心の声を聞くことで肯定的にとらえていく必要があると思います。
今月の聖句はイエスが、夜通し漁をしたが魚が獲れず、くたくたになって戻ってきたばかりの漁師シモン・ペトロに再び沖に出て網を降ろすように言いました。シモン・ペトロは、内心とれるはずがないと思いながらも、イエスの言われる通り網を降ろすと、網が破れそうになるくらいの魚がとれました。イエスの言葉を疑ったシモン・ペトロに対してイエスは「恐れることはない。」とおっしゃいました。そして、シモン・ペトロ、ヤコブ、ヨハネは全てを捨て、イエスに従って行きました。
私たちの人生も、漁師のシモン・ペトロのように、思い通りにならないことがたくさんあります。仕事、育児、人間関係などいろいろなことで私たちは困難に直面し、疲れ果ててしまうことがよくあります。そして、「どうせやってもだめだから。」とか、「こんなのやっても意味がない。」などと理由をつけて、諦めてしまうことがたくさんあります。でも、子どもたちは簡単にはあきらめません。失敗しても失敗しても何度でもチャレンジします。現実から逃げようとする私たちの背中から、「あきらめちゃダメー」という子どもの声が聞こえてきます。
園長 石川 健