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2017.1.24
/ 学校生活 /
学年礼拝 坂本先生
詩編46編2~4節
私がこうして皆さんとお話をする学年礼拝の時間を持つことができるのは、今回が最初で最後になります。
このような貴重な機会をいただき、何を話そうかなと、かなり悩んだのですが、皆さんといっしょに過ごす中で、私も皆さんと同じ高校3年生だった頃のことが頭に浮かんできたので、その当時の話をしたいと思います。
センター試験を終えて、前期試験で合格通知を手にすることができなかった私は、3月12日の後期試験を受けることになっていました。
前泊しないと後期試験当日間に合わなかったので、今から6年前の2011年3月11日に、私は茨城に向けて高校を出発しました。
昔から歴史が好きだった私は、渋いと感じるかと思いますが、時代劇を見るのが好きでした。
特に、悪事を働いた人が最後には必ず水戸の御老公様に成敗されるという水戸黄門が大好きでよく見ていました。
なので、私はせっかく茨城に行くなら、水戸駅前にある水戸黄門の像を見て、試験に向けて気合いを入れようとはりきって水戸駅に向かっていました。
水戸駅に着いて早速、カメラを片手に興奮しながら水戸黄門の像の写真を撮ろうとしていた時です。
ごーというものすごい地響きが聞こえてきました。
水戸駅は結構電車の音が響く構造になっているのだなとあんまり深く考えていなかったのですが、その地響きのすぐ直後に何が起こったのか全く分からない、というか考える余裕もないほどの強い揺れが襲いました。
立っていることはできず、地面に這いつくばり揺れが収まるのを待ちました。
その時はどのくらいの大きさの地震だったのか分からなかったのですが、後々調べたら実際には水戸は震度6弱の揺れだったそうです。
そしてこの地震は、3月11日に起こった地震ということで気づいた人もいるかと思いますが、東日本大震災のことです。
東北地方を中心に津波や原発で甚大な被害を出し、日本各地に大きな爪痕を残した地震なので、皆さんの記憶にも色濃く残っていることと思います。
揺れが収まると駅の中から悲鳴をあげた大勢の人達が雪崩のように出てきて、あたりは経験したことのない物々しい雰囲気でした。
周りを見渡してみると、建物の窓は木っ端みじんに破損して壁が落ちたり、上層部が崩れてしまったり、道路は亀裂が入っていて通れる場所もなく、歩道橋は崩れ落ち、もたもたしているうちにまた大きな揺れ、余震に襲われました。
親に電話をかけようと思っても全くつながらず、何が起きているのか、どうしたらいいのか全く分からず、涙を流す暇さえありませんでした。
一人でとぼとぼ歩いている私に、周りの人たちが建物から離れなとか、下に気をつけて歩くんだよとか、いつ余震が来てもいいように安全を確保して、と気にかけて声をかけてくれました。
当時の私の感覚では、余震という感覚が全くなかったのでただただ驚きと次はいつ来るのかという不安でいっぱいでした。
初めての土地で土地勘もなく、さらにホテルは水戸に予約をしていなかったのでどうしたらいいか困っていたところ、東京から偕楽園に梅を見に来たというおばさま方が、予約したホテルに連れて行ってくれて、その日はそのホテルのロビーに泊めてもらうことになりました。
ホテルではラジオを通して、東北地方がすごいことになっていること、交通機関がストップして復興のめどが立っていないこと、それはすなわち試験会場に行けない、そして山梨にいつ帰れるか分からないという現実を知りました。
結局次の日の後期試験は実施されませんでした。
ちなみに、私が高3だった時の後期試験は、地震の被害を受けている所ではセンター試験の得点で判定が出されることになったことが多かったです。
ホテルのロビーで寝た夜には、停電のため真っ暗で余震が数分間隔で襲い、寒い中毛布にくるまり、みんなで励まし合いながら恐怖の長い一夜を過ごしました。
私一人ではとうてい乗り切ることができなかった一日を、周りのたくさんの方々に助けてもらいながら乗り越えることができました。
その時私に関わってくれた方々は、名前も分からない方々ですが、お互いに困った時には助け合い、励まし合うことの大切さを身をもって教えてくれました。
次の日、ここは危険だからということで、ホテルから避難所である近くの学校へと案内されました。
そこでは支援物資が各地から届けられ、非常食を配給してもらうことができました。
避難所で過ごした3日間、私は山梨に戻るために朝から晩までタクシー乗り場の長蛇の列に並んでいました。
結局、避難所で3泊して4日目にして、タクシーに乗り合わせることができて、動き始めたつくばエクスプレスに乗って山梨に帰ることができました。
この日々の中で、私は自分にとってとてもとても大きな出会いに恵まれました。
避難所が学校だったということもあり、学校の先生方がボランティアで炊き出しに来てくれて不安の中にいる私たちの話を親身になって聞いてくれ、当時の私の精神の支えになってくれました。
山梨に帰れないこともですが、後期試験を受けられなかったということが私の中で消化しきれないことであり、本当に悔しくて、来年どうしたらいいのかと考えることだらけでしたが、その先生の言葉がその時の私に今後を乗り切る力と勇気をくれました。
残念ながら学校の名前も先生の名前も分からないのですが、不安と恐怖の中にあった私の光になってくれた、学校の先生という存在は私の中では非常に大きいものとなり、教師という職業を意識するきっかけになりました。
当時は後期試験を受験することさえかなわず、地震の被害にあったことはとてもつらい体験だったと思っていました。
しかし、今日の聖書の箇所の2節に、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難の時、必ずそこにいまして助けてくださる。」とあります。
どんなにつらいことや希望の光が見えてこない時でも、私たちのそばには神様が共にいて下さいます。
そして、そんな私たちのことをいつも守り助けて下さいます。
自分にとって苦しいときにこそ、神様の存在はさらに大きなものとして感じることができるのだということを、私は英和に来て、この礼拝の時間を通して感じるようになりました。
今振り返ると、この時の経験や出会いがなければ、今の私はいなかったと思います。
それはきっと、私の人生にとってなくてはならないできごとであり、神様が共にいて下さることを実感することのできた経験として、今後も私の中に残っていくことでしょう。
皆さんも今後、様々な出来事を経験したり様々な出会いが待っていたりすると思います。
もしもそれが自分にとってつらく苦しい出来事であったとしても、その経験の中で自分が大きく成長できることや自分の目指す方向性が大きく変わることもあるかもしれません。
どんな時にも私たちのそばには神様が共にいて下さることを覚えて、ぜひ一つ一つの経験や出会いを大切にしながら、自分の可能性を広げていってほしいと思います。