放送礼拝 山田先生

2017.9.4放送礼拝
ヨハネによる福音書 1章1~5節
「人を喜ばせる言葉」

 夏休み中に「日本語を考える」という研修で、子どもがどのように「ことば」を覚えて使えるようになっていくかという内容の講義を受けました。とても興味深い有意義な講座でした。
 赤ちゃんは、1歳を過ぎるころから言葉らしいものをしゃべりだし、1歳半ごろから「マンマ」や「ワンワン」などの幼児語といわれる言葉を話しだします。このころの子どもは、生き物は犬も猫もパンダもみんな「ワンワン」と呼んで表現します。食べ物はみんな「マンマ」と呼ぶようです。もちろん個人差はあるようですが。
 子どもはだんだんと「マンマ」には、白いお米を炊いた「ごはん」や、ご飯を丸めた「おにぎり」や、おにぎりの中身には「うめぼし」「こんぶ」「たらこ」などがあることを「言葉」とともに理解していきます。言葉を理解する中で、自分の世界を広げていきます。少し難しい言葉でいうと、「ことばは世界を理解するための認識の道具」といえるのです。毎日少しずつ、子どもは喜びとともに言語を獲得していくのです。
 2歳から3歳児くらいになると、社会性を持つ言葉を使えるようになります。「アリガトウ」「ゴメンナサイ」という、目に見えない自分の気持ちも「ことば」に表すこともできるようになります。
私ごとですが、この講義を聞きながら自分の子育てのことを思い出していました。子どもがお菓子をもらった時やコップやスプーンを取ってもらった時に、「アリガトウ」が言えた時のこと、そして「アリガトウ」という子どもの「ことば」がおじいちゃんもおばあちゃんも、家族みんなをなごませたことを思い出しました。また、いけないことをしてしかられて、泣きながら「ゴメンナサイ」が言えた時の我が子の気持ちも思い出していました。子どもは「アリガトウ」という言葉と同時に「感謝」という認識をも持つようになり、「ゴメンナサイ」という言葉とともに「謝罪」という概念を手に入れることになるのです。そして、その言葉は、「アリガトウができるようになったね」「ゴメンナサイが言えたの、えらいね」と、家族みんなを喜ばせたものでした。
 このように、子どもの「ことば」は、自分の世界を広げるだけでなく、周りの大人たちの喜びも一緒に運んでくる魔法の言葉だったのです。でも、私たちは知っています、言葉は時に人をひどく傷つける武器になるということを。では、なぜ人を喜ばせる言葉が人を傷つける言葉になってしまうのでしょうか? 悪口、かげ口、からかい、嘘、いじわる、なぜこのような言葉を使ってしまうのでしょうか? 私たちは「ことば」を覚えながら、さまざまな感情を認識していきます。憎しみ、ねたみ、さげすみ、わがまま、劣等感、思い上がり。
 聖書のいう初めにあった「言葉」とは何でしょうか?神とともにある永遠の「言葉」
とは、わたしはイエス・キリストのことだと思います。イエス・キリストは、私たちに愛を伝えるために生まれ、教え、十字架でなくなりました。神さまの言葉とは、人を愛するための言葉だと私は思います。
 私は毎日、国語の授業で「ことば」を教えています。その言葉が、愛を伝える人を喜ばせる言葉であるように願っています。でも、人は誰でも失敗します。その時は「ゴメンナサイ」といいましょう。どうしても人を傷つける言葉が口をついて出てしましそうなときは、口を閉じて神さまに祈りましょう!
 わたしたちには、毎日自分の心や言葉を振り返り、静かに祈る時間が与えられています。聖書のみ言葉と、友人や先生の話に耳を傾け、深く祈る礼拝のときを与えられているのです。毎日神様からいただく素敵な時間です。「アリガトウゴザイマス」と感謝しましょう!
 夏休みがおわり、学校にも礼拝の時間が戻ってきました。夏休みから冬休みまでのこの期間は、1年間で最も長く充実した時期です。キャンプ、SSH研究発表、ドイツ研修、ウォーカソン、そして高校3年生は進路実現、皆さんが大きく成長するときです。毎日の礼拝に感謝して、一日一日進んでいきましょう!

お祈り
 神様、今日も礼拝の時間をありがとうございます。自分自身にも、隣人にも、あなたからの愛の言葉が注がれていることを信じて過ごせますように。後期も、安全に豊かな日々となりますように導いてください。尊き主イエス・キリストのみ名によりお祈りします。
アーメン