放送礼拝 若尾先生

ルカによる福音書6章38節

体育の授業で皆さんが走ったり、歩いたりする様子を見るようになりました。強歩の注意事項などが掲載された保健便りも発行され、いよいよ強歩大会に向けて準備がスタートしています。山梨英和では強歩大会をウォーカソンとも呼びます。ウォ-カソンは「Walk」と「Marathon」を合体させた意味でまさに歩いたり走ったりする、強歩大会の意味ですが、
もう一つ、スポンサーに依頼して募金を集める、charity活動としての意味もあることを、強歩大会を経験した中学3年生以上の英和生なら知っていると思います。

私が「ウォーカソン」という言葉と出会ったのは、大学生時代です。大学生時代に下宿していた寮の管理人さんからの声かけでした。管理人さんに「ウォーカソンで一緒に歩いたり、走ったりして募金を集めませんか」というようなことをいわれました。私自身は開催日に都合が悪く参加できなかったのですが、よくわからないままにスポンサーになり、募金した記憶がありました。そして数年後、教員として働き出すと、山梨県内では「走ったり、歩いたりする」一般的に強歩と呼んでいる大会を、山梨英和ではウォーカソンとしてスポンサーを募ることを知り、少しびっくりしたのを覚えています。そして、もっと驚いたのは、生徒のみなさんがスポンサーを募り、多くの募金を集めていること、そしてその募金をアジアの国、タイの学校に行くことができない中学生の学費支援に使っていることでした。教員となり数年後のことになりますが、私は、生徒2名と、学資支援をしているタイの中学生に会いに行くというツアーに、参加することができました。

当時募金していた基金の名前は「ダルニー奨学金」。タイに住んでいた少女ダルニーちゃんの学費支援からスタートしました。現在は経済発展にともない、支援の必要性が薄くなり、隣国のラオスの支援にスライドしてきましたが、私の訪問当時のタイの東北部は大変貧しい地域と言われていました。そのため、学校に行けず、農作業に追われる子供たちが大勢いました。ですから、支援を受けて、学校に行けるのは大変ありがたいことなのです。学校校舎も今は、大きく改善されている地域もありますが、数十年前の訪問時、訪問先の小学校校舎は衝撃的なものでした。柱にトタン屋根、教室と教室の境は壁で黒板はありましたが、校庭との壁はなく、電気もない建物でした。そのような校舎でも、友達に会え、勉強ができる学校をみんな大好きでした。学校訪問のあと、支援を受けている一人の男子中学生の家を訪ねた時の事です。やはり壁のない高床式の家の前で、その男の子は満面の笑顔で、目をキラキラさせ、「よこうそ、僕の家へ」と言わんばかりに迎えてくれました。一緒にいたお母さんも急いで畑から戻り、にこやかに、感謝の気持ち一杯に頭を下げ、お礼をしてくれました。

わたしは、私たちが届ける募金で、あのキラキラとした眼を見ることができるなんて、なんてステキなことなのだろうと、改めてウォーカソンの取り組みのすばらしさを実感しました。そもそも強歩は体力や気力、自分自身との戦いです。そのことはかわりません。
ただ、長い距離、目の前の坂道に、一歩が踏み出せないと思う時があるかもしれません。そんな時、この一歩の歩みの先に、多くの支援を受け取るラオスの子供たちの笑顔が待っていることを少しでも思い出したなら、その子供たちが背中を押してくれていることに気がつくのではないでしょうか。

今日の聖書のケ所を読む時、ウォーカソンのこと思います。今まで参加していた先輩、多くの卒業生が、「前に進むエネルギーがなくなりそうな時、支援を待っているタイやラオスの中学生のことを考え、少しでも多く支援をしたいという気持ちになると、元気が出てきた。」と話してくれました。実は私たちが、与えているようで、走るエネルギーなど多くのモノを与えてもらっているのではないでしょうか。来月の強歩大会でも、自分自身ががんばるのと同時に、ウォーカソンとして、自分のがんばりで 学校に行けるようになる仲間がいる・・・そんな、気持ちをもって走れば、元気がたくさんもらえそうです。

10月17日までの練習でも、辛くてもう嫌だ・・・、と思うこともあるかもしれません。でも、そこで頑張ることは、自分自身のためでもあると思うと同時に、皆さんの支援をラオスで待っている仲間のことも思って、頑張ってください。