放送礼拝 華道同好会

華道同好会放送礼拝原稿
コロサイの信徒への手紙 3章11節から14節

 私は、中学3年生から華道同好会に入り、今年で3年目になります。華道は、活けるときに一定の決まりごとやルールがあり、私達は先生が黒板に描いてくださる図に従って花を活けていきます。活けるお花は同じ種類でも、一輪一輪違っていたり、活ける人の個性がでるためか仕上がりはそれぞれ違ってきます。明るい作品、繊細な作品、おおらかな作品、几帳面な作品などその人なりの個性が作品に表れます。そうやって、仕上がった作品を見るのもみんなで活動していて面白いと感じるところです。
 華道の作品に表れる活ける人の個性は見ていて楽しいものですが、私達自身の個性については少し違う感情が生れます。私達の年代は、個性に対してとても複雑な気持ちを持っています。他人と全く同じだと嫌なくせに、みんなから大きく外れてしまうことを恐れます。私達は、「みんな」という実体のないものの視線を恐れます。「みんな」という集団は、一人一人の集まりです。だから、本当はその中の一人一人ときちんと向き合うことができれば理解しあえるはずです。しかし、私達は時にその一人一人と向き合えず、集団の中でどう見られているのか不安な気持ちに支配されてしまいます。お互いの違いを認め合う努力を諦めてしまうことがあります。
 今日読んだ聖書の箇所の13節を見てください。互いに忍びあい、責めるべきことがあっても許し合いなさい。主があなたがたを許してくださったようにあなた方も同じようにしなさい。と書かれています。私達は誰でも過ちを犯してしまうことがあります。意図せずして人を傷つけてしまうこともあります。自分がそのような存在であることを認めなければなりません。
大勢の中に紛れていれば間違えていないと思ってしまうこともあります。しかし神様は私達を大勢の中のひとりではなく、たった一人の存在として見てくださいます。だから私達も「みんな」という集団ではなく、その中の一人一人にきちんと向き合うことが大切なのだと思います。互いに許し合うというのは互いを理解しあい歩みよることだと思います。お互いを尊重し合い認め合うことが大切なのだと思います。
 私達は、いろいろな偶然が重なって、今この学校で出会っています。同じ校舎で同じ時を過ごしています。この出会いをより豊かなものにするために、一人一人との関りあいをもっと大切にしたいと思います。

お祈りします。
 神様、今日も新しい朝を下さり、放送を通して皆で礼拝を守れたことに感謝いたします。今日は、互いに許し合い理解しあうことの大切さについてお話ししました。互いが尊重し合い高めあえる存在になれるようお支えください。このお祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン。