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2017.1.19 / 学校生活 /

放送礼拝 石原先生

マタイによる福音書5章9節

  「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」

 

 今日は福沢諭吉の生涯や彼の残した言葉から、共に考えていきたいと思います。

 福沢諭吉といえば、「1万円札の人」として有名です。しかし、何がそんなにすごいのか?までは分からないという人が多いのではないでしょうか? まずは、青年期から振り返ってみましょう。

 諭吉は、中津藩(今の大分県)の下級武士の家に生まれます。子どもの頃から向学心が旺盛で、人の何倍も学び、学力においては、中津藩で一位、二位を争う人物でした。

 が、ただの「学力の高い人」で生涯を終え、決して歴史に名を残すことはない人物のはずでした。それはなぜだと思いますか?封建社会(身分社会)の日本において、特に諭吉のいた中津藩では、学力が高くても、身分を超えた仕事には就くことは決してなかった、いや、できなかったからです。諭吉の父もまたそうでした。諭吉は後に、封建制、身分社会を「親の仇」と評し、このような社会のあり方に敵愾心を抱いていました。

 それでも諭吉は学問を続けます。ペリーの黒船来航の知らせを聞き、当時の外国語であった「オランダ語」を、しばらくすると、これからは「英語」だと直感し、「英語」を猛勉強することになります。

 そんな諭吉に、幕府が派遣する咸臨丸に乗船し、アメリカの土を踏んだことが、人生最大の転機となりました。それは、もちろん偶然が重なったこともありますが、学問が彼にチャンスを与えたといっていいと思います。

 アメリカで諭吉を驚かせたものは、豊かな生活や「科学文明」ではなく、成熟した社会のあり方だったといいます。誰でも自由に発言し、また、それを受け入れる社会の寛容さ、また、大統領でさえ、その職を退けば、普通の一般市民の扱いを受けるなど。

 彼を広い世界に導き、自分の使命に目覚めさせたのは、結果的には「学問」です。諭吉自身、「賢人と愚人との別は、学ぶと、学ばざること、によりて、出来るものなり」と言っています。諭吉にとって、あの中津藩時代の閉塞感を打ち破れたのは、若き日から積み重ねた「学問」であり、人の一生が「身分」によって決まってはいけないことを我々に伝えています。同時に、学ぶ意欲のない人は、自分の未来を切り拓く意志がない人であり、「愚人」という厳しい言葉で戒めています。

 諭吉は「独立自尊」という言葉を好んで使っていました。「個人の独立」とはどういうことでしょうか? 諭吉はそれを「支配されない」に置き換えられると言っています。例えば、みんなが持っているもの、みんなの着ているもの、さらには、みんなから自分がどう評価されているかが、気になって仕方がない。つまり、「みんな」という名の不確かなものに「支配されている」ことを指しています。

「独立」は「孤立」とは違います。諭吉は社会との関わりに大変「重き」を置いています。

「独立」とは自分の意志をしっかり持ち、それを表現できることだと思います。日本人がこれが不得手なのは、「神様」との「1対1」の対話が少ないからだと思っています

「神様」との関係をもっと深くすることで、さきほどの「みんな」という漠然としたものに振り回されることも少なくなると思います。神様の前に立つと、人は自然と素直になれます。また、「神様」は私たちの思いを必ず受け止めてくれます。自分の足で立ち、自分の足で歩くとは、神とともに歩むということだと私は思います。

 諭吉は人前で自分の意見を述べる、「スピーチ」を慶應義塾の学生たちに求めました。当時、自分の意見はしゃべるものでなく、書き残すものであったため、日本人はこれが相当苦手であったようです。今の時代にもそれが引き継がれてしまっているように思います。

 当時の日本に「スピーチ」に当たる日本語はありませんでした。当時の日本に人前で自分の意見を述べることなど必要なかった訳ですから、そもそもそれを表す言葉がないのは当然です。「演説」という言葉は「スピーチに対する訳語」として、明治時代に諭吉が作ったと言われています。

 「スピーチ」はもちろん練習すれば上手くはなりますが、それだけでは人の心を捉えるものにはならないでしよう。今、世界に影響力をもつ、いわゆる「リーダー」と呼ばれる人たちの言葉に、我々に希望ではなく、互いの憎悪をかき立てるような言葉が混じっているのが気になります。

 諭吉の言葉に、「学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し。」というものがあります。「活用」?、誰のために何のために活用するのか? 世界のリーダーならば、その頭の良さを、敵をつくり、対立を煽るためではなく、世界の平和のために活用すべきです。

 皆さんは、今学んでいるものを何に活用しますか? 皆さんが今学んでいることが、やがて誰かの幸せに繫がることを願いつつ、今日もしっかり学習に励んで下さい。

お祈りします。

 

天の神様、今朝も礼拝で1日を始められる幸いに感謝します。

今世界で起きている、対立、紛争は私たちの愚かさから生まれているものです。

もし、私たちがそれに目を背き、または、傍観者の立場でいるようなら、

それに気付かせて下さい。

平和な世界をつくるのは私たち一人一人であると自覚させて下さい。

今日一日、与えられた恵みに感謝して過ごせますように。

 

主の御名により祈ります。 アーメン。

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