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2019.10.16 / 教育 /

放送礼拝 伊藤先生

2019年1016日(水) 全校放送礼拝

 聖 書 ヨハネによる福音書  13章34節

 

先日NHK30年前に亡くなった国民的歌手の美空ひばりさんをAIで再現するという試みのドキュメンタリー番組を見ました。もう一度会いたい歌声を聞きたいという強いファンの思いからこのプロジェクトを立ち上げ試行錯誤の末やっと完成したそうです。本当に美空ひばりさんが蘇って歌っているようでした。

皆さんもそう思う人たちがいることでしょう。私がそう思う方のお一人がミス・ロジャーズです。
山梨英和だけでなく静岡英和と東洋英和で宣教師としてまた同時に英語教師として働かれた先生です。

これまでも礼拝でお話しさせていただいたことがありますが、10月は特に先生の命日でもあり、宣教師の先生方を覚える月でもありますので先生を知らない方たちに知っていただきたいと思い今朝お話いたします。 

 今年は山梨英和130周年の年、婦人宣教師ミス・ウィンターミュートがカナダ・メソジスト教会から山梨英和に派遣されてから130年になります。当時アメリカやカナダから宣教師の先生方は、海を隔てた遠い異国の日本へ多くの困難を乗り越えて来られ、福音を伝えようと教会や学校を建て伝道・教育・社会福祉に献身的に奉仕されました。そして学校創立から続いたカナダの教会からの宣教師派遣は、山梨英和では1975年に、東洋英和では2006年に終了します。カナダ合同教会の方針の転換のため、具体的な理由は経済的に日本が豊かになったためです。約100年間日本の伝道をして下さったことに感謝したいですね。

 ミス・ロジャーズはDaphne Margot Rogers とおっしゃいます。山梨英和の最後の宣教師です。定年後カナダに戻り79歳で亡くなられました。

ミス・ロジャーズは1930年にカナダのノバスコシアで牧師の家庭に生まれました。お姉さんと弟さんの3人兄弟で、先生は小柄でちょっと背が丸く、大きな青い目が印象的な、少女のような方でした。お父様の教会に偶然にも引退後のミス・ブラックモアが通っておられました。ミス・ブラックモアといえば、山梨英和の第2代校長で、東洋英和で長く校長をされておられ、赤毛のアンの翻訳者、山梨英和の教師もされた村岡花子さんを教えられた方です。幼い先生は日本からのお土産にかわいい日本人形をいただき、日本への関心を強くかきたてられました。大学を出てから小学校の先生をしていましたが、神様の仕事がしたい、特に若い女子の為に働きたいという思いがありました。そんなある時、宣教師を必要とする国々のリストを見ていると、「日本」の文字があり、日本に行くことは主イエスが求めておられることだと直感して、60年前1959年に宣教師として来日されます。他国が困っているときに無関心ではいられなかった、そして、幼い時の出会いが先生の人生の方向を決めていきました。

先生は先人の宣教師と同じく、最初来日した時は、飛行機ではなく長い船旅をしていらしたという事を、親族の方に聞き驚きました。初めの数年間は東洋英和や静岡英和にいらして、1965年~1975年の10年間、山梨英和でお働きになりました。その10年間の後半6年間に私は英和生として在学していたわけですが、先生はいつも元気で輝くような笑顔をたたえ、ユーモアあふれ愉快な面もお持ちで、ジョークをおっしゃる時はいつもウインクをなさるお茶目な方でした。

カナダ婦人宣教師は、カナダの文化を伝えてくれたり、女性としての自立した生き方、キリスト者としての生き方を示してくれました。教科として英語を教えて下さいましたが当時の山梨県ではネイティブ教師から生きた英語を学ぶことは英和以外にはなかったので、本物の英語を教わる機会を持つことができた英和生はとても恵まれていました。正確な発音と美しい英語が求められ、私も中学1年の授業でthの発音を何度も繰り返してできるまで指導して頂いたことを覚えています。「英語の英和」の伝統は、創立当初から今に受け継がれてきたのです。宣教師として、英語で行われる朝の礼拝の講話や、甲府教会で教会学校の指導などもされました。耳の不自由な生徒に熱心なご指導をされたことが“MEMORIES”という書物に載っていますので読んでみて下さい。図書室にあります。ここでも困っている人を放っておけないという先生のお人柄が垣間見えます。

先生が山梨英和に残された有形の遺産の一つは、ハンドベルを寄贈して下さったことです。当時、名古屋の金城学院が最初にベルを持っていて、先生はベルの演奏をTVでご覧になって早速カナダに注文なさって山梨英和に2オクターブを寄付して下さいました。私も高校生の時初めて、聖歌隊としてそのハンドベルに触れ、1、2個を持ってクリスマスで演奏しました。現在、聖歌隊は一人が5つも6つもベルを持って素晴らしい演奏活動をしていることを、先生も喜んでおられると思います。先生はお母様とお姉様が教会のオルガニストだったということもあり、以前から音楽に造詣(ぞうけい)が深く理解をお持ちになっていて、すぐに行動におこされたのです。

私が先生と個人的にお話したのは、中学1年の時、学級新聞のために先生のお宅にインタビューに行った時でした。当時教員住宅が校舎のすぐ近くにありました。先生は、ダフニという名前は沈丁花という意味があることや、優しいお母様の思い出などを話して下さいました。また、私たちが高校1年生の時、姪のキャシーが1年間英和で学ばれました。優しく聡明な人ですぐにみんなと仲良しになりました。

後日、彼女のご両親が、遠い日本での先生のお働きを応援し支えていらしたことを話してくれた時は宣教師として送り出すご家族は多くの犠牲を払われたことがわかり感謝の思いを深くしました。

先生は、山梨英和を離れてから東洋英和に移られ、約18年間、小・中・高で教鞭をとられました。山梨英和のカナダ語学研修を始める際には理事のお一人として大変尽力して下さったおかげで、素晴らしいプログラムができたと聞いています。語学研修先のレスブリッジは先生の弟さんご一家、キャシーさんのお父様が住んでいらして、日本移民のゆかりの深い土地柄で、日加友好の記念の日本庭園もある所で意義深い研修が行われました。ホームステイがそこで行われていた時はいろいろお世話になりました。

先生は、1994年にカナダに帰国され、エドモントンで余生を過ごされました。教会で大きな働きをなさったり、老人ホームで食事のお世話をされたり、英語を外国語とする人達に英語を教えたりし、亡くなる2日前までも奉仕活動をなさったということです。そして亡くなられる前には、ご自分の家具をはじめ、すべての財産を、色々な所に寄付されて、あとには何も残されなかった、と姪のCathyは話してくれました。

 遺灰は、エドモントンのKnox Metropolitan United Churchの裏庭に撒かれ、日本では遺灰の一部が青山墓地に納められました。

その生き方は、まさに『人のために』という人生でした。

私たちが宣教師の先生方に影響を受けたり感動を与えられるのはこうした先生方の日常の姿からではないでしょうか。一粒の麦の聖句のように一生を捧げて日本のため英和の女子生徒のために働いて下さった先生方の生き方から、神さまへの愛、隣人への愛がどういうものであるかを教えられます。今とくに他人のことに無関心ではいけない、関心を持つことがとても重要な時代になっていますよね。私たちも先人にならって自分のことだけでなくて人のことを考えるという生き方をしたいと思います。それが世界を変えることにつながるからです。

明後日はウォーカソン。Love for others を実行するよい機会です。それぞれの目標に向かってベストを尽くしてウォーカソンに参加しましょう。 

 

お祈り: 神さま、今日はあなたがお送り下さった宣教師の先生方のお働きを振り返ることができましたことを感謝致します。先生方の思いを、私たちがしっかりと受け止めて、少しでも他者のために何ができるのかを考えていくことができますように、励まし導いて下さい。台風で被災した方々が一日でも早く日常生活に戻れますように。また、復興に力を尽くしておられる方々をあなたが守り支えてください。

感謝と願い、主イエスキリストのお名前を通してお祈りいたします。 アーメン

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