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2019.5.08 / 学校生活 /

放送礼拝 伊藤先生

聖   書:イザヤ書402831節(p.1125

讃 美 歌:452番          

 

5月の連休が終わり学校が再び始まりました。この連休中に平成から令和に元号が変わり、連日ニュースはそのことで持ちきりでしたね。天皇のことは皆さんも良く分かったでしょうか。日本は神道の国ですか?と問いたくなりますが、生徒の皆さんは、歴史をよく学んで下さい。時代によって天皇のあり方も変わってきましたが、現在は象徴という姿を模索していて、英国のロイヤルファミリーみたく慰問活動等行っていますね。

さて、私たちはキリスト教主義の学校に学んでいます。家がキリスト教という人もいるでしょうが、ほとんどの人が違うでしょう。日本はクリスチャンが少ない国です。しかし、神を敬う、隣人を愛するということは良いことですから、すっと受け入れていらっしゃることでしょう。キリスト教信仰とは何かということを考える時思い出したのがある映画です。

『炎のランナー』という映画を観たことがありますか。1981年公開のイギリス映画でアカデミー賞作品賞を受賞しました。主題歌の「タイトルズ」はとても有名です。一度は耳にしたことがあると思います。内容をお話しします。

1924年のパリ・オリンピックを舞台に、走ることによって栄光を勝ち取り、真のイギリス人になろうとするユダヤ人のハロルド・エイブラハムズと神のために走るスコットランド人宣教師エリック・リデルという実在の二人のランナーを描いた映画です。ユダヤ人は長い歴史の中で常に迫害や差別を受けてきました。一方スコットランドは昔から独立性が高く、二人ともイングランド人ではない。そうした二人が英国の代表としてオリンピックに出場することになります。

時は1919年、ケンブリッジ大学にハロルド・エイブラハムズが入学します。彼はユダヤ人で自分に向けられる差別に反感を抱いていました。ハロルドは足が速かったので、自分を認めさせるために走りました。

スコットランドでは元ラグビー選手のエリック・リデルの足の速さに注目が集まっていました。

エリックは宣教師の家庭に生まれ彼も父の後を継ぐつもりでした。そしてそのことと同じく彼にとって走ることは神の恵みをたたえることでした。

ケンブリッジでは、ハロルドを中心に1924年のパリ・オリンピックを目指して練習を続けました。

1923年にロンドンの競技会でエリックとハロルドは初めて対決し、わずかの差でエリックが勝ちました。そして二人ともオリンピック出場が決まり、パリに向かいます。

エリックはオリンピックに出るために伝道を一時中断し神の御業をたたえるために走ろう、とトレーニングに励んできたのですが、100メートルの予選が日曜日ということを突然知り出場を辞退します。日曜日は神が定めた安息日だから、走れないという理由でした。

選手団長、皇太子の必死の説得も効果はありませんでした。

しかし、種目を100メートルから400メートル競走に切り換えられることになります。

ハロルドは100メートルで優勝。エリックも400メートルで劇的な勝利を成し遂げ世界新記録を樹立して金メダルに輝きます。

 

この映画のテーマの一つはキリスト教信仰だと思います。

エリックは素晴らしく速い足を、自分の栄誉、国家の栄誉のためでなくて、神から与えられた賜物として、神をたたえるために走ろうとするのです。ただし日曜日は神の定めた安息日だからレースはしない。そこにきて、「予選は日曜日」の知らせを聞く。彼は悩むけれど、結局走らない決心をする。すごいなと思いました。伝道活動も中断してこのオリンピックのためにトレーニングしてきたのに、走ればいいじゃないか、何のために今までがんばってきたのか、と誰でも思います。でも、大事なのはそこだったのです。「何のために」ということが。皇太子の「走ってくれ」という言葉に対して、毅然として信仰を表明するエリック。神への信仰を持つ、ということは精神的に弱いことのように思われるかもしれませんが、これを観たら弱いどころか、強さそのものだとわかります。

クリスチャンが日曜日に走っていけないわけではないでしょう。ただ、いろいろな背景から「これをすることは神様が喜ばれない」という思いがわきあがることがあります。酒やタバコをやらないというのもその一つだろうし、あくまで個人的な思いのこともあるでしょう。どこで線を引くかはあまり決定的なものではないでしょう。その人、その場所、その時代で変わってくることが多いし、それで構わないとも思います。大切なのは、その人が神様との関係の中に生きているということ、神様に喜ばれるように生きたいと思っているということだと思います。エリックは、日曜日にレースをすることは神様が喜ばれないと信じていて、その信仰を誰にも、未来の国王にも侵させなかった。神の罰を恐れていたからではありません。神さまを心から愛していたからです。神さまを愛しているから走るのなら、それと同じように、走らないことも神を愛しているからなのです。愛には犠牲が伴いますが、何より、まず、神様の方が先に彼を愛してイエス・キリストという犠牲を払ってくれたという信仰があったのです。

仮にレースに出ていたとしても、優勝はしたかもしれません。しかし、それはあくまで「優勝した」ということでしかなかったでしょう。彼はそうではなく、愛する神の「栄光をたたえ」たかったのでした。彼の勝利が周囲の人に何を感じさせるのか。信仰者エリックにとって、走るとは、勝利という結果それ自体を望むものでは決してなかったのです。もっと大きな存在が彼の思いの中に脈打っていて、それが、この映画で信仰の強さを感じさせたものだと思います。

一方、「勝つ」ことにこだわったユダヤ人のハロルドは、勝利後に不安と虚しさを感じたのです。

エリックのこの対応は当時の新聞一面に取り上げられ社会に一石を投じこの後も亡くなるまでこの姿勢をつらぬいていきます。本当の幸せとは何か考えさせられます。

 

 

 

お祈りします。

「天のお父様、御名をあがめ讃美致します。

今日は、エリックとハロルド、二人の生き方から信仰について考えさせていただきました。

エリックは人々から理解されずに苦しみながらも神様に喜ばれるように生きたいと望みました。

そして、あなたはそういうエリックを祝福され、人々に感動を与えて下さいました。

勝つことや、自分の栄誉だけを追い求めることがいかに虚しいかも教えて下さりありがとうございます。私たちも神さまに喜ばれる生き方を探りながら日々過ごせますように導いて下さい。いつも主がわたしたち一人一人と共に歩んで下さいますように。この願いと感謝、尊き主イエスキリストのお名前を通して御前にお捧げ致します。アーメン」

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