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2019.6.17 / 学校生活 /

放送礼拝 長田先生

エレミヤ書1516節(旧約聖書1206ページ)

  あなたの御言葉が見いだされたとき わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり わたしの心は喜びおどりました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって呼ばれている者です。

 先週、作家の田辺聖子さんが亡くなったことが報道されました。最近はテレビでも見かけませんでしたし、作品ももちろん発表されていませんでした。91歳ということでしたから、大往生かもしれませんがさみしい気持ちでいっぱいになりました。今年は2月にドナルド・キーンさんも亡くなり、日本の文学界は大きな穴があいたようになっているのではないでしょうか。

 田辺聖子さんは古典にも造詣が深く、若い人達が古典に親しみやすいようにと、古事記や源氏物語などを現代語訳していることでも有名です。瀬戸内寂聴さんたちとの対談で「古典文法なんかするから、古典が嫌いになるんだ。作品の粗筋を現代訳で知っている方がずっといい。」と話されているのを読んだときはおおいに共感したものです。

田辺さんの短編小説も評伝も好きなのですが、最も心に残っている話は、実は河合隼雄さんとの対談です。『あなたがこどもだったころ』という本の中にあります。

 その中で、田辺さんは「私は子どもの頃はうそばっかりついてた。」「小学校6年から女学校の2年生くらいまで万引きしたいという衝動に悩まされた。お金があるときに限って万引きしたくなる。」と告白しています。正直な人だなあと思いました。この話しに対して心理学者の河合隼雄さんは「思春期にあること。そういう衝動を自分は持っているんだということをはっきり自覚したことに意味がある。」とこたえています。田辺さんのこの万引き衝動はあるときにすーっと消えたんだそうです。そして、その後、物語が次から次へとあふれるように出てきて小説の真似事を書くようになったと言っています。田辺さんは小さい頃から本を読むのが大好きでした。日本の古典はもちろん少女雑誌などありとあらゆるジャンルの本を読んでいました。そういう力のある言葉が、田辺さんの心に積もり積もって、ある時から今度は自分を表現する言葉としてあふれ出したのです。

 この話はとても象徴的です。中学・高校の時期、心の中にはマグマのように溜まっているものがあり、そして、それがさまざまな方向に噴出するのです。自分の中にあるマグマは自分をいい方に生かしもするし、逆に悪い方にも向かわせるものです。ものすごいパワーですから、自分自身でも制御しきれないこともあるでしょう。この力を伸ばしていくことができるかどうかが人生の分かれ目になるのかもしれません。田辺さんは、この力を、小さいときから心に溜めていおいた言葉を使って

文芸作品の創作に向かわせることができたのです。

 田辺さんは他のところで「自分は軍国少女だった。それが、戦争に負けて目からうろこだった。」とも語っています。私は田辺さんの自分の過ちを認める潔さ、自分のマイナスの部分もあけっぴろげに語るユーモアあふれる姿勢が大好きでした。

 

先ほど紹介した『あなたがこどもだったころ』ですが、その他にもいろいろな人との対談が載っています。たとえば、詩人の谷川俊太郎さんは「こどもが学校へ行きたくないとき」、作家の井上ひさしさんは「こどもが思想に目覚めるとき」、動物学者の日高敏隆さんは「こどもが個性を伸ばすとき」と題して自分がこども時代の危うい時期をどう過ごしたかを語っています。

 図書室にもありますので、ぜひ手にとってみてください。こんな有名な人達でもこどもの頃、やんちゃだったり、不登校だったりしたんだと安心します。いえ、逆にその体験がその後の人生を形作ったのだと思わされます。

 

 私たちの人生には、様々な時期があります。トンネルを抜けたと思ったのに、もっと長いトンネルが待っていることもあります。特に中学高校の時期は、不安定で不安な思いで過ごしている人も多いことでしょう。

 その時にどういう思いで過ごしていくかは人それぞれで正解はありません。でも田辺さんの経験にヒントがあります。 

今日の聖書の箇所に「あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。」とあります。田辺さんの読書の経験と通じるものがあると思います。力ある言葉に出会う時、その言葉はその人の心の栄養になるのです。

これからのみなさんの人生の中で、心の支えになる言葉に出会う時が必ずあります。今毎日出会っている聖書の御言葉が心の支えになり、みなさんのこれからの人生の土台となっていくことを私は信じています。

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