放送礼拝 華道同好会
9月17日 放送礼拝 華道同好会
聖書 マタイ6:27−34
みなさんは花と聞いてパッとどのようなイメージを持つでしょうか。私は凛と立っていて、力強いものと感じます。それぞれいろんなイメージを思い浮かべると思いますが、花にマイナスなイメージを持つことはあまりないと思います。私たち人間は花を貰ったり、送られるととても嬉しい気持ちになるし、庭に咲いている花を見るだけで心が安らぎます。花はそんな不思議な力を持っているのです。
とかく私たちは目に見えるきれいな花の部分だけに注目しがちですが、美しく花が咲くためには根っこがなければいけません。見えない根っこは地中深くに伸び、美しく花を咲かせているのです。美しく咲くには土台が必要です。
人間もしっかり地に足をつけ、立つことが必要です。地に足がついていないと、フラフラと気が移ろってしまいます。思い煩らい、周りと自分を比べて嘆いてみたりなど、とかく現状に満足できずにあれもこれもといろいろなことを求めてしまいがちです。これらは地に足が付いていないので本当に自分たちがしなくてはならないことが分からなくなっているのです。ですが、花は違います。花は実をつけ、そして自分の種を次に残すために美しく咲いているのです。それには何の迷いもありません。だから凛とした力強さを感じるのでしょう。
私が花に力強さを感じたのは小学1年生のとき、担任の先生が私にたんぽぽを見せてくれたときでした。先生が見せてくれたたんぽぽに私は驚いたことを覚えています。なぜなら、小さな花の茎の下には、いつも見ていたたんぽぽの何倍もの長い長い茶色い根っこがあったからです。驚くほどの長さでした。先生がこんなに長い根っこを掘り出すのは大変だったとおもいます。今思えば、先生はその花の力を教えたかったから、頑張って根っこを掘ってくれたのだと思います。その長いたんぽぽの根っこに私は力強さを感じました。
また、花たちは人間にきれいだと思ってもらうために咲いているのではありません。今読んだ聖書の言葉にもあるように、花は働きもせず、紡ぎもしません。花たちは、種が埋まった場所でじっと動かず、さまざまなことに思い煩うこともせずに、ありのままに育ちます。そして水や太陽の力を借りて美しく咲きます。そのように純粋でありのままに生きる野に咲く花よりも神さまは、私たちを、大事にしてくださっている、と30節には書いてあります。ありのままに生きる花よりも私たち人間のことを神さまは思っていてくれているというのです。野に咲く花よりも私たち人間を愛してくださっているのです。ですが、今私たちは花よりも誠実に生きているでしょうか。花のように地に足をつけ、力強く生きているでしょうか。
少なくとも私自身は日々思い煩いながら生きているように思います。だからこそ私は、聖書にある神様のことば、イエス様の言葉を土台に生きていきたいと思うのです。苦しい時や思い悩む時はもちろんですが、日々生活する時にも聖書は欠かせない存在です。こうして神様は私たちに思い煩うなとおっしゃいました。私たちはその言葉を通して自分の生きる道を振り返り、次に繋げていくことが出来るのです。さまざまなことを思い煩うのではなく、神さまが私たちに与えてくださる大きな恵みによって生かされていることを思い、その恵みに深く根を下ろして生きていきたいです。
お祈り
神さま。今日無事に学校まで来られたことに感謝したします。多くの人が今困難な中にいます。また、これから生きていく上で苦しいことがあると思います。そんな時は、神さま、切られた花が私たちによって生けられることによって美しい姿に復活するように、私たちが困難な中にある時には神さまの力によってまた私たちを立ち直らせてください。また、そのことを覚えて生きることが出来ますように。私たちのこれから歩む道をお導きください。この祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前お捧げいたします。アーメン。




