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2019.11.06 / 学校生活 /

放送礼拝 高校宗教委員会

コリントの信徒への手紙一 1347節          201911.6 放送礼拝

 

今日の聖句は、初めて聖書に触れた時から何度も耳にしてきた言葉です。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。」「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

 

なぜこの聖句が私の心に響くのか考えてみました。それは私の母の姿とこの聖句とが重なるところがあるからだと思います。ここに記される「愛」は神様の愛を表していますが、神様を信じる人は、この愛を学ぶことができるのではないかと思います。

 

私は生まれた時から、この聖句に示されるような母の愛を身をもって経験してきたと思います。私が生まれて1年もたたないうちに、母は父と離婚しました。少し大げさですが、私は幼いころから、自分は父に捨てられた身なのだと思ってきました。

 

ところがある日母との会話の中で、そんな風に思わなくてよいことに気づかされ、心境に変化が生まれました。私は誰からも必要とされない、いらない存在なんだと思う、と打ち明けたところ、思いがけない答えが返ってきました。

「あなたは自分を必要とされない、いらない存在だと思っているかもしれないけど、あなたの周りにいてくれる人は誰も、そんなこと思ってないし、必要としてくれる人はたくさんいるんだよ。だからもっと自分を認めてあげて。」

母の強い言葉が胸に響きました。母のおかげで私は、考えや視野を広げてみることができるようになり、今までと全く違うものが見えることに気づかされました。自分がいらない存在ではなく、必要とされていると思うと、心が温かくなりました。自分で自分を認めてみよう、と思うようになりました。

 

母は今まで私たち姉妹を、女手一つで育ててくれました。私は母の泣く姿を見たことがありません。きっと私の知らないところでは、涙を流すこともあったのではないかと想像しています。日々、仕事に追われ、朝から夜遅くまで懸命に働く母ですが、不思議なことに、私が悩み落ち込んでいると、すぐに気づいてくれて、「何があったの?」と声をかけてくれます。私たち姉妹のことをいつも気にかけ、親身になって相談に乗ってくれて、一緒に考え、答えにたどり着くことができるよう、導いてくれるのです。

 

「母は強し」と言いますが、本当に私の母は強い人です。そして何でも分かってくれて、私たちを世界で一番愛してくれる自慢の母です。私は今までの生活の中で、この母の愛を知ることができました。

 

母の愛を思うとき、この愛は自分を犠牲にして私たちを愛してくださる神様の愛に一番近い愛なのではないかと心から思います。イエス様は私たちの罪を背負って、十字架にかかってくださって、私たちに罪のゆるしを与えてくださいました。イエス様の自己犠牲の愛によって、私たちは神様から愛されていることを知りました。

 

私は母が私たちのためにしてくれた多くのことを忘れずにいて、母の愛に感謝して生活しようと思います。そして聖書を読む中で、神様の愛を知り、私も愛を学ぶ人になれたらうれしいと思います。

 

 

 

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