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2019.11.13 / 学校生活 /

放送礼拝 中学生徒会 広島訪問報告

マタイによる福音書59

八月五日と六日の二日間にかけて、私たちは学校の代表として市内の中学校の代表生徒と共に 広島へ行き、原爆死没者慰霊式に参列しました。

一日目は広島平和記念資料館を訪れ、戦争の悲惨さを改めて学びました。八月六日を目前とし て、資料館には日本人だけでなく世界各国から訪れたたくさんの人で溢れかえっており、新しくリニューアルしたばかりという館内には、原爆の恐ろしさをより感じさせられるような展示が多くありました。見れば見るほど当時の様子が目に浮かんでくるような絵や、目を背けたくなるような実際の写真の数々。被爆した学生達の遺品は当時のまま残っており、目の前にあるのにそこだけ時代が違うように感じました。食べられることなく、中身がそのまま残った真っ黒なお弁当や、後遺症と戦った青年の日記、そして原爆の被害を受けたのは日本人だけでなく、故郷から遠く離れた広島という地で被爆した外国の方々。

特に印象に残ったのは「魂の叫び」という展示でした。被爆者の子供たちの写真とともに、その子たちが発した言葉が展示してありました。ある幼児は「あつい、あつい」と言いながら、またある少女は「お水ちょうだい」と言って亡くなっていったそうです。展示を見ていた私の周りでは、ところどころから鼻をすする音が聞こえました。それほど原爆というのは恐ろしく、悲惨なものなのだと改めて感じました。

外にある原爆の子の像の下は全国各地から集まった色とりどりの千羽鶴で溢れていました。私たちも中学生で折った千羽鶴を飾りました。

二日目の式典はあいにくの雨の中行われました。式典にも様々な国の方が参列していました。国籍も世代も違うたくさんの人が一緒に歌ったり、黙祷したりする姿は、きっと平和という言葉がぴったりであったと思います。

私の祖父の兄にあたる、私の大伯父はこの原爆で被爆死しました。当時は私と同じ十五歳でした。祖父が産まれて十日目のこと、大伯父は学徒動員によって工場に向かう道の途中で被爆しました。彼の父と姉がリアカーをひいて市内に探しに出ると、体中にひどい火傷を負った大伯父を見つけました。まだ息が残っていた彼を二人はリアカーに乗せ、長い道を歩いて家まで戻ると、彼は「母ちゃん、母ちゃん」と言いながら息をひきとったそうです。曽祖母は出産後十日という体で、息子の死を受け入れなければいけませんでした。しかし、そんな目にあったのは彼らだけではなく、本当にたくさんの人が原爆の被害に遭い大切な人を亡くしました。今の私たちには想像もつかないようなことですが、当時の人たちにとっても思いもよらないことであったのではないでしょうか。

平和について考える機会は学校生活の中などでありますが、果たして私たちには何ができるのでしょうか。式典の中で広島の小学生二人が代表として行った「平和への誓い」の中にこんな言葉がありました。「『ありがとう。』や『ごめんね。』の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること。自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。」

大きな平和を目指すことはとても大切なことですが、それは本当に難しく大変なことです。しかし、この平和宣言のように身近な平和を守ることは誰にでもできることではないでしょうか。何度も聞いたことのあるようなことですが、もう一度しっかり考え直し、実践してみたら何かが変わるかもしれません。その小さな変化がいつか大きな変化となり、私たちが目指す姿に近づいて行くのだと思います。

今日の箇所である「平和を実現する人々」は英語で”peacemakers”と訳されることが多いそうです。平和が大事という考えをもっていることだけでは実現することはできないのです。行動を起こしてこそ平和を作り出すことができるのだと思います。聖書にある「平和」とは単に戦争や争いがないということだけを指しているわけではないと思います。私たちは神によって優劣なく創造されました。そのことを思い起こし、尊重しあえば平和を作り出すものとなれるのではないでしょうか。たくさんの人がお互いに愛を持って理解し、助け合うことができるようになることを願いま
す。

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