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2019.10.01 / 学校生活 /

放送礼拝 谷井先生

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイ5:14-16

 

今日は、みなさんにある質問をしたいと思います。「皆さんは何のために勉強していますか?」

 

私は小学生、中学生、高校生の時、ほぼ毎朝登校する前に、父からある質問をされていました。それは、「何のために学校に行くのか?」という質問でした。これは、私だけに限らず、私以外の3人の兄姉も同じ質問をされて育ってきました。答えはいつも決まって、「神様の栄光のため」でした。それが我が家の合言葉でした。これは、Ⅰコリント10:31「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」から来ています。小学生の頃は素直に答えていたように思いますが、登校班の友達が待っている時にこの質問をされ、恥ずかしいと思ったことも何度かありました。中学生、高校生になると、正直面倒くさくて、吐き捨てるように答えたり、むしゃくしゃしている朝は、完全に無視したことさえありました。それでも、父は辛抱強く毎日同じ質問を繰り返しました。

 

その頃は、我が家のこの変わった習慣を面倒に思って、それほど感謝したこともありませんでした。しかし、大学生になった時、その意味がわかるようになりました。それは、大学で出会った同級生や先輩が、目的を見失って苦しむ姿を多く見たことがきっかけです。ある先輩は、お酒とタバコに溺れていき、大学も休みがちになりました。そして、夜の街で働くようになって、最後には退学していきました。信頼していた先輩だっただけにショックでした。また、私の同級生は、入学当初から大変優秀な人で、私は彼女の英語力の高さや、頭の回転の速さにいつも感心し、憧れていました。しかし、いつからか大学で彼女を見かけることが少なくなっていきました。休学したと聞いていましたが、最後にはアパートで亡くなっているのが発見されたそうです。本当にショックでした。みんなみんな必死に勉強して、やっとの思いで入った大学で、目的を見失ってしまったのです。そんなことを目の当たりにして、わたしも自分自身に問いかけました。「なぜ、勉強するのか?」その時、私の心の中に迫ってきたのは、小さい頃から毎日父から確認されたあの言葉でした。「神様の栄光のため」。ぶれない答えを握っていることは、とても心強いことだとその時に痛感しました。

 

「神様の栄光のため」とは一体何でしょうか? わかりやすく言い換えれば、今日の聖書箇所だと思います。私たち一人一人は、神様によって目的をもって造られたかけがえのない存在で、しかも、世の光であると言われます。「私なんかが、世の光!?」と心配する必要はありません。神様がちゃんと、一人一人に明かりを灯してくださっているからです。この光とは、それぞれに与えられている賜物と言い換えることもできます。光を自分だけのものにして隠す時、その輝きは決して発揮されないし、何の役にも立ちません。しかし、みなさんの家族、友人をはじめ、まだ出会っていないけれど、みなさんの光を必要としている人々のために使う時、神様はそれを何倍にも祝福して、輝きを増し加えてくださいます。その時に、本当の意味で神様の栄光を現すことができるのです。

 

最後にイザヤ書6:8を読みます。「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」

 

私たち1人1人も、この神様の呼びかけを聞く時が来ます。その時、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」といつでも言える私たちでいたいですね。そのために、今、しっかり学び、準備しておきましょう。この時のためだったとわかる日が絶対に来るからです。

 

 

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