放送礼拝 菊田先生
ヨハネによる福音書 3章16節
両親が共働きで、「ただいま。」と家に帰ったときに、出迎えてくれるのは、中学のときまでは、一緒に住んでいた祖母でした。引越しをして祖母と離れて暮らすようになった高校時代には、上の兄弟はすでに東京に出てしまっていたので、学校が終わると誰もいない家へ帰るのが私の日常でした。両親は当時ではめずらしかった、工業用ロボットを製造する会社を立ち上げ、注文先の会社の希望する納期に間に合わせるために、夜中まで奔走することも少なくなく、朝私が目覚めたときには、まだ帰宅していないということもありました。そんな仕事で忙しい親を喜ばせる方法として、当時の私が思いついたことが、親に迷惑をかけない、ということでした。身の回りのこと、学校の成績のこと、将来の進路のこと。なるべく迷惑をかけずに、ということを最初に考えていました。
迷惑をかけないという前提があって、生きていくことは、様々な制約を生み出します。「友達」との関係で考えてみると、言いたいと思っていたことが言えなくなってしまいます。そうすると、どこか関係がよそよそしくなったり、ギクシャクしたり、疑ってしまったり・・・。
自分自身の「将来」のことで考えてみると、私立の大学に行くにはお金がかかるから、まず国公立で考えてみたいけれど、入試の科目を考えると、苦しい・・・というジレンマ。
昔の記憶はだんだん曖昧になってきていますが、高校生のころ、友達とそんな会話をした記憶がよみがえってきます。
皆さんの中にも、「人様に迷惑をかけてはいけない。」と教えられて育った人は少なからずいるのではないでしょうか。
しかし、私たちは、この世に生を受けた時から、一人では生きることができない環境の中にいます。赤ちゃんのころはきっと、オムツを変えてもらったり、ミルクを飲ませてもらったりして育っています。幼少期になると、自分の力で着がえをし、歩きまわることもできるようになります。やがて、親に一緒に行ってもらわなくても、兄弟や友達、あるいは一人だけで出かけることもできるようになります。今日、学校に来るのに、家を出たら一人で学校まで来た人もたくさんいるはずです。学校では自分で考えて行動し、教科書を使って先生から学んだことを理解するようになります。こうして私たちは自分の力で出来ることが増えてきます。だから、やがて年をとって、働くようになり、自分でお金を稼いで生計を立てるようになると、人の力を借りなくても、もっといろんなことが出来るようになっていく、と考えてしまう大人は私たちの周りにはたくさんいるように思います。だからいい年をした大人が、警察に逮捕された、というようなマスコミの報道があると、「あれは自己責任だ。」という風潮が、いまならばSNSなどで拡散されるようになります。もちろん、法律に反するとか、反社会的な行動は許されてはいけないことです。
しかし私たちは、だれかに対して「それは自己責任だ」と言い切れるまで、優れた生き方をしているのでしょうか。
私は自家用車で通勤していますが、家を出発して、大通りに入る手前で、私に道を譲ってくれた運転手さんがいました。やがて赤信号で車を停車させ、脇を走る自転車の高校生に注意しながら運転してきましたが、交通ルールを作った人、信号機を作った人、同じルールを守ってくれる人たち、車の存在を気にして走行して言った高校生。学校に着くと、挨拶を交わしてくれる先生方、生徒の皆さん。その皆さんを安全に送り出してくれたそれぞれのご家族。皆さんを安全に駅まで届けてくれた、電車やバスの運転手さん、駅員さん、一緒の電車やバスに乗っていた人たち、同じ駅を利用する人たちも、言葉は交わさなくても、お互いを思いやる気持ちを持ち合わせながら、毎日を積み重ねているのです。誰かの助けなしに、誰かに迷惑をかけずに生きられたことは、きっと今までも、そしてこれからもないはずです。
インドでは、「お前も人に迷惑をかけているのだから、人の迷惑も許してあげなさい。」と、教えるのだそうです。
これを聞いた時、ここに神様と私たちの関係を築いていくヒントがあると感じました。先ほど読んだ聖書にもう一度戻って考えてみましょう。神様がご自分のひとり子であるイエス様を私たちのためにお遣わしくださり、わたしたちの罪のために死んでくださった。それは不完全で欠けの多いわたしたちへの愛の証に他なりません。どんなに小さい私たちのことも、神様は目に留めてくださり、愛を実行してくださいます。神様が私たちを愛してくださったように、私たちも他の誰かのために愛を実行できる一人ひとりであり続けたいと思います。そのために私たちはここにいて、生かされているのだと思います。
11月はキリスト教強調月間です。自分自身のこと、神様について、知る機会となれば幸いです。そして、来月にはクリスマスを迎えます。神様が私たちのためにお遣わし下さった、御子イエス様のお誕生が、私たちにとって非常に大切であることを心に留め、感謝をもってお祝いすることが出来ますように、準備を重ねていきたいと思います。





