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2021.3.19 / 教育 / 学校生活 /

全校礼拝 中学1年生

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」ヨハネによる福音書15章16節~17節

私は、クリスチャンホームに生まれたわけでも、友達がクリスチャンだったわけでもありません。だから、山梨英和に入学して初めて、神様に出会いました。長いオンライン授業の後、入学式で読まれたのがこの聖句でした。その時はこの聖句が理解できませんでした。確かに私は入試で選ばれて山梨英和に来たけれど、私が進路を英和に決めていなかったらここに来ることは、なかったからです。それにこの聖句の「選ぶ」とは、入試のことではないはずです。そしてこのことが心に引っかかっていました。

登校が始まって、私は英和での生活が、学習面以外も小学校の時とは大きく違うことに気がつきました。礼拝で始まり、礼拝で終わる生活。音楽の時間には讃美歌も勉強し、週に一度は聖書の授業もある生活。山梨英和の生活の中心は神様だったのです。

9月18日私たち中1は、メイプルスクールで甲府教会に行ってきました。山梨英和が教会によって生み出され、たくさんの人によって支えられたことを知りました。私は、特にグリンバンク先生のお話が心に残りました。「差し伸べた手が傷つく時、人は本当に成長する」この言葉は、使徒言行録20章35節の「受けるよりは与える方が幸いである」という聖句と繋がるところがあると思います。また、この言葉を聞いて、私には傷つくことを恐れて、思いを行動に繋げることができなかったことがあったと思いました。差し伸べた手が傷ついても、手を差し伸べることは神様に喜んでいただけることで、自分も成長できる。私は、それが聖書がいう「幸い」だと思います。

修養会では、佐藤彰先生の講演が心に残りました。東日本大震災によって故郷や家を失っても、力強くお話をされていた姿が印象的でした。神様が人を困難に合わせるのは、その人を滅ぼすためではなく、新しい自分に成長させるためだということがよくわかりました。「最悪の後は必ず最善」という佐藤先生の言葉をいつも忘れずにいたいです。

私は、たまに教会に行っています。教会に行って牧師先生のお話を聞くことで、自分中心になってしまいがちな私が、神様が喜んでいただけることは何か、考えることができます。

入学する前、私は英和がミッションスクールであることに対して、外国の本や映画をさらに楽しめそう、としか考えていませんでした。しかし、英和で私は神様によって変えられました。そして、1年間様々な経験をした今では、この聖句がわかります。これからもこの御言葉を常に心に留めていきたいです。そして、山梨英和の校訓「敬神」「愛人」「自修」にふさわしい、自立した女性になっていきたいです。

 

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私たち中1は一年間を通して、マルコによる福音書を学んできました。

その中で私が担当し、心に残った箇所は、4章の26節~34節でした。30節にこうあります。「更に、イエスは言われた。『神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る』」。この箇所では、イエス様が「神の国はからし種のようものだ」と、たとえ話をされています。からし種とは、シャーペンの芯よりも小さな種です。種とは神様の言葉です。その種は、私たちの心にまかれた後、成長して実を実らせます。そして心の中に蓄えられ、いつか花を咲かせて実をならせる時季がきます。

神様の言葉はからし種のように小さくて、小さな影響しかもたらさないと思われても、いずれは大きく成長します。神様の言葉はたくさんありますが、その一つ一つは小さいものです。しかし、その一つ一つの、御言葉を必要として、その花を咲かせて、実らせることができる人がいると思います。どうしてそうなるのか、説明はできなくても、その神様の言葉を理解でき、実を実らせることができたときに、それは自然と分かることなのだと思います。

私は、英和に入学する前までは、イエス様という人の名前は知っているけれども、自分とは関係ない人だと感じていました。しかし、神様の言葉と出会い、いつの間にか「私たちの罪を背負ってくださって、私たちのために十字架にかかってくださった方なんだ」ということに気づくことができました。

この一年間、礼拝を通してクラスの仲間や先輩方、先生方、教会の牧師先生が話してくださったことは、私たちの心に蒔かれた種となって、ずっと心に残っていくと思います。そして、それは必要な時に芽を出していくと思います。その日、その時、その人に必要な言葉が必ずあると思うので、これからも神様の言葉に出会い、見つけていきたいと思います。

 

天の父なる神様、

今日も共に礼拝を守れたことを感謝いたします。

私たちがあなたの御言葉を心に留め、生活に活かせるようにお導きください。

また東日本大震災から10年がたちました。復興のために努力されている方々をお支えください。

この祈りを尊き主イエス・キリストの御名を通して御前におささげいたします。

アーメン。

 

 

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