1つ前のページに戻る

2017.4.27 / 学校生活 /

合同礼拝 高2担当

マタイによる福音書5章9節 (沖縄・長崎コース) 平和。この言葉を聞いてみなさんは何を思うでしょう。今は平和でしょうか。憎しみや争いの中で、飢えている人や悲しんでいる人がいるのなら、平和とは言えないと私は思います。 私たちは昨年度、修学旅行の事前学習として、映画を鑑賞したり、班ごとに調べ学習をしたり、プレゼンテーションを行い沖縄・長崎についての学びを深めました。特に、沖縄の歴史についてはほとんど無知と言っていい程知識がありませんでした。しかし、この修学旅行をきっかけに、実際に沖縄に行き、壕体験や資料館を見学したり、講話を聞いたりしたことでたくさんのことを知ることができました。その中でも一番こころに残っていることは、轟壕に入った事です。自然の鍾乳洞である洞窟の中は、湿度が高く、足場も悪く真っ暗で、懐中電灯に照らし出されたかすかに見える内部の様子やなんとも言えない空気感に恐怖を感じました。あるポイントで足を止め、すべての懐中電灯を消したときは、驚くほど真っ暗で、誰がどこにいるか、何がどこにあるか、全く見えませんでした。当時の沖縄の人々はこの暗さの中で、家族と共に生活をし、日本兵からの脅しや死に対する底知れぬ恐怖におびえながら生きていました。子どもが泣いたり騒いだりすると日本兵が来るため、母親が子どもの口元を自分の胸に強く押さえ付け、その結果子どもが窒息死してしまうことも少なくなかったといいます。また、日本兵が、いつまで経っても泣き止まない子どもを母親から無理矢理奪いとり殺してしまうこともあったそうです。弱い立場の人々をいとも簡単に殺してしまう異常な精神が、追い詰められた人間の心の闇を映し出しているようでとても恐ろしかったです。また、瀕死の状態の人、泣き叫んでいる人、困っている人がいたとしてもお互いに助けあうことができず、「多くの人が人を殺して生きてきた」というのは、想像できないほど残酷で悲惨な経験だったにではないかと感じました。 長崎では、原爆について資料館や講話などから詳しく学びました。原子爆弾が爆発したことにより発生した熱線、放射能、爆風が約7万4千人もの人々の命を奪いました。その中でも特に心に残っているのが、講話をしてくださった講師の方やガイドさんから言われた「二度と被爆者を出してはいけない」という言葉です。これは、核兵器廃絶。すなわち、核兵器をゼロにするということです。「もし一発でも残っていたら、その一発によって何万人もの命が奪われてしまう。だからゼロにしなくてはいけいない。」という言葉が胸に重く響きました。 この修学旅行を機に被害、そして加害の両方の側面から戦争や平和について深く学ぶことができました。世界では今もなお争いが絶えず、多くの人々の命が奪われています。しかし、人の手によって人の命が奪われることは決してあってはなりません。修学旅行の経験を通して、私たちには平和を実現するためにできることを考え、平和の大切さを未来に生きる人々に伝えていく使命がある事ことに気づくことができました。また、平和は人々の心が安定することによってもたらされると考えます。心が安定し元気になることで、自分や他者を愛することができるようになります。聖書にはその心の栄養の源となる御言葉が記されています。神様が私たちに語りかけてくださる御言葉を心に留め、一日一日を大切に生きていきたいと思います。 (韓国コース) 「許しこそすれ、忘れること勿れ」私は、この言葉を忘れることができません。5日間の修学旅行を終え、一番印象に残っている場所、それは提岩里(チュアムリ)教会です。私は提岩里教会を訪ね、自分が戦争に対してどれだけ浅はかな考えであったかを実感しました。 1919年に韓国で起きた三・一独立運動は、日本の植民地からの独立を求め、次第に韓国の各地へ広まって行きました。宗教指導者が主導的な役割を果たしましたが、当時の日本軍はこの運動を鎮圧させるために手段を選びませんでした。そのような中、同年の4月15日に提岩里教会事件が起こりました。事件は、陸軍79連隊に所属する有田俊夫(としお)中尉が指揮を取り決行されました。教会に集められた15歳以上の成年男性21名は教会に閉じ込められた後、窓から銃撃を受け、放火されて亡くなりました。また、家族を心配して駆けつけた夫人ふたりも刀により殺害されました。その後、この事件は現場の視察に訪れたアメリカ総領事館・領事、アメリカ人宣教師、AP通信の特派員により日本軍の虐殺事件として世界中に報道されました。また、カナダ人宣教師フランク・ウィリアム・スコフィールド牧師が、凄惨な事件現場や家族や友人が悲しむ姿を写真に収めそれらの記録が連日報道されました。しかし、事件の指揮者である有田中尉は放火・殺人の罪で処罰されることはなく、謝罪すらありませんでした。 「このような残酷な行為を本当に人間ができるのでしょうか。」提岩里教会記念館で私たちに説明してくださった方がおっしゃいました。私も受入難い出来事ですが同じ日本人が犯した過去の過ちなのです。「私は日本を許すことができません。」とはっきり言われた時に、韓国と日本の間にある大きな壁を感じ胸が痛みました。  日本は、戦争に負けた事を決して敗戦記念日とは言いません。また、歴史の教科書にも日本が加害者として犯した残虐な行為はほとんど記述されていません。約70年たった今でも、日本は事実に触れようとしないのです。私達はまず、過去に起きた出来事を知り、学ぶ必要があります。そして、二度と同じ過ちが繰り返されないようにしなければなりません。 私が冒頭で紹介した言葉「許しこそすれ、忘れること勿れ」は、現代を生きる私たちの心に強く訴えかけています。「あなた方の敵を愛しなさい」まさにイエス様がおっしゃったことと同じことです。加害者である私たちが罪を許されたとしても、決して自分達が犯した過ちを忘れてはならないのです。そして私たちの世代が後生に語り継がなければならないのです。韓国と日本の間にある壁を越えるためには、私たち日本人が加害者であったことを自覚し、私たち若者が両国の架け橋になるよう努めていく必要があると思うのです。しかし、そのような思いとは裏腹に、最近ニュースや新聞で、核ミサイル実験や戦争を匂わせる報道がされています。決して他人事ではないということを私たち一人一人が真剣に考え、目を向けて行くべきたと思います。過去に起きてしまった出来事は、今どんなに悔やんでも変えることはできません。修学旅行で学んだ事や得た思いを無駄にすることのないよう、自分にできることを模索しながら生活していこうと思います、今ある平和に感謝して。
月別
年別