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2019.2.04 / 学校生活 /

放送礼拝

コリントの信徒への手紙一 1535

 

今読みましたコリントの信徒への手紙一、15章の3節最初の言葉は、「最も大切なこと」となっています。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは」と続いています。「最も大切なこと」って何でしょうか?

 

聖書は確かに最も大切なことはこれだ!という答えをもっているのだけれど、最も大切なもの、大切なことは人によって違うのでは、と思いませんか? 例えば、みなさんに最も大切なことは何ですか?と聞いたら、みんなそれぞれに答えがあると思うのです。家族、友だち、親しい人をあげる人もいるかもしれないし、自分、という答えもあるでしょう。アイドル、芸能人、自分が取り組んでいること、大好きなもの、お金、家、ペット、自然、環境、平和や愛もあるかもしれません。正に人それぞれ、100人いたら100の大切なものがあるように思います。そして実際、すべての人が同じものを最も大切だと思ったり、大好きになったりする必要はないですし、それぞれが大切にしているものを否定する権利は誰にもありません。それがたとえ私にとっては、とても納得できないようなものや人であったとしても、一人一人がそれぞれ大切に思うこと、思うものは尊重されなくてはなりません。

 

けれども今日の聖書で伝道者パウロが語っている「最も大切なこと」は、誰かある特定の人たちにとってそうだ、という限定されたものではありません。最も大切なこととして私が伝えたのは、私も聞いたもの、受け継いだもの。これは全人類にとって、すべての人にとって当てはまることだというのです。人は一人一人違う大切なものを持っているとして、それは十分認められるけれど、それをはるかに越えて、地上に生きるすべての人、一人の例外もなく、すべての人にとって、最も大切なものがある。それは、キリストが私たちの罪のために死んだこと、三日目に復活したこと。すなわちイエス様の十字架と復活、そのことだと聖書は語ります。

 

すべての人にとって最も大切なんてことが本当にあるでしょうか? 小さい赤ちゃんがいます。小中学生、高校生、大学生、若い人、社会人、お年寄り、病気を抱える人、ハンディをもつ人、貧しい人、豊かな人、あらゆる人種、民族、神様を信じる人、信じない人、とにかくどんな人も、誰一人例外なく、すべての人にとってこのことが最も大切なことだ、本人の自覚があるかないかは関係なく、とパウロは言います。

 

すべての人にとって、私たち一人一人にとって、イエス様の十字架と復活、私たちの罪が全部ゆるされるってこと、そのことが最も大切なこと。キリスト教ではそれを“救い”と言います。すべての人が救われる必要があります。すべての人の罪がゆるされて、新しい命をいただく必要があります。

 

その人が求めていてもいなくても。教会はこのことを2千年にわたり伝えてきました。そして教会の信仰を土台として建てられた山梨英和もまた、このことを最も大切なこととして信じ、伝えている学校です。

 

この救いは極端なことを言えば、犯罪に手をそめたり、死刑判決を受けたり、一般的にまた社会の中で強く排除されるような人たちにも与えられるものです。すべての人が罪のゆるしを必要としているからです。

 

けれども誤解しないでください。聖書は、キリスト教信仰は、何をしてもゆるされるなどと言っているのではありません。不正が行われたり、具体的に弱い立場の人が被害にあったりしてつまずいているのに、何もしないでゆるしてやりなさい、わかってやりなさいというようなことだけ言っているとすれば、誰も信用しないでしょう。それはゆるしではなく、勇気のないごまかしになってしまいます。いけないことはいけない、人を傷つける言葉や行動はいけないとはっきり言える、そういう人間関係をつくっていく必要があるでしょう。それと同時に、どんな問題を起こそうとも、何回失敗しようとも、必ず神様はそこにもゆるしを与えてくださる。イエス様の十字架という尊い、大きな犠牲によって愛してくださる、必ずやり直せる、という見方も必要でしょう。

 

私たちは、自分自身の罪の姿から目を背けずに、いけないことはいけないと言えなくてはなりませんが、それだけではなく、どんな人のどんな罪もゆるし、おおってくださる神様の大きな愛が一人一人に限りなく豊かに注がれている、この見方もどこまでも信じていきたいと思います。すべての人にとって最も大切なことがある。すべての人は神の愛の内にある。このことを聖書を通して知った私たちは、それを多くの人に伝えて生きる使命も神様から授かっているのではないでしょうか?            (担当 宍戸

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