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2019.12.13 / 学校生活 /

合同礼拝 高校1年生

マタイによる福音書123

 皆さんは足跡という詩を知っていますか? 聞いたことのある人はこの詩に心を打たれたのではないでしょうか。私もその一人です。今日はこの詩を例え話として2年前の春、教会のキャンプで感じたことをお話しします。

 その日は 私が神様の存在を感じ、洗礼を受けたいと強く思った、私の人生の分岐点とも言える日です。私の通っている教会の春キャンプは、東京の教会のメンバーと合同で教会に泊まり、お話を聞いたり、ゲームをしたり、みんなでご飯を作ったりして神様の学びを深めていくイベントです。先輩に誘われて教会に行き始めてから2回目の春キャンプでした。2回目とはいえ同級生はおらず、一緒にいてくれるのも先輩ばかりで少し不安を抱えての参加でした。

 私は初対面の人と話すのが苦手で、そのくせ一人になるのが嫌いで寂しがり屋です。2日目の朝、前日の夜が遅く寝不足だったこともあり、いつも仲良くしてくださる先輩との会話が続かなかったり、場の空気が変わったように感じて、なんだかひとりぼっちになってしまったような、寂しくて、とても悲しいようなマイナスの気持ちが心を埋め尽くしてしまいました。思い悩んだ末に体調を崩し、お昼も食べる気にならなくて礼拝堂で一人、膝を抱えてうずくまって神様に「どうして自分はこんなに悲しい気持ちなのですか?」「周りに人はいるのにどうしてこんなに寂しいんですか?」と問いかけました。この時が初めて神様に本気でお祈りをした瞬間だと思います。

 だれかが悪いわけじゃないのは分かっていましたし、むしろ問題があるとすれば自分の方で、それが分かっていながらどうすることもできない自分の弱さが恨めしくて悲しくて、変わりたい、変えて欲しいと強く願いました。そんな時、教育伝道師の先生が礼拝堂を覗きにきてくれました。泣きながら祈っている私を見た第一声は「大丈夫?」でも「泣かないで」でもなく、「みんな祈ってるよ」という言葉でした。明確な理由もなく、勝手に寂しくなっているような私のために祈ってくれる人がいるんだ。そう思った時、嬉しいような、申し訳ないような、でもとても暖かく優しいものが胸の奥に広がるのを感じました。同時にこの寂しさの原因は何か、自分の何が悪かったのかが分かったような気がしました。目に見えて感じられるものだけを求めて、その人の本質や気持ちをちゃんと理解してあげられなかった。誰かがそばにいてくれること、笑顔が見られること、目に見えるものばかりを求めたらその人の気持ちや、まして祈りなんて気づけるはずがありません。私の人生において最も大きな気づきだったと思います。

 またその時、このことに気づけたのは神様のおかげなのだと感じました。私がひとりぼっちだと思ってた時、神様は祈りという見えないものを私の心に届けようとしてくれていたんだ。ひとりぼっちに見えた時、私は誰かと神様を通して祈りで繋がっていたんだ。そう思った時、神様への感謝の気持ちと今まで気づけなかった悔い改めの気持ちが溢れてきて涙が止まらなくなったのをよく覚えています。

 今日読んだ聖書の箇所に出てきた、インマヌエルという言葉。神は我々とともにおられるという意味を今になって考えてみるとひとりぼっちだと思っていた時、私が見えていなかったものがもう一つあったなと思います。どんな時でもそばにいた神様の存在です。神様は私たちといつも一緒に居てくださいます。私はひとりぼっちだったことなど一度も無かった。神様はいつも近くにいてくださったということにもっと早く気づけていれば私の寂しがりもここまで深刻にはならなかったと思います。

 もし、皆さんがひとりぼっちだと感じた時や、理由も分からず寂しくなったら思い出してください。あなたのことを考えてくれている人がいるということ、あなたのために涙を流してくれている人がいるということ、あなたのために祈ってくれている人がいるということ、そしてあなたのことを1番に愛して、何があってもそばにいて離れない絶対的な存在があるということを。そして、もう一つ、誰かのために祈ってみてください。ご両親、友達、部活の先輩や後輩、学校や塾の先生、近所の人。誰でもいいです。重荷を抱えていたり、体でも心でも痛いところを持っている人のために祈ってみてほしいです。周りに辛い環境にある人や悲しそうにしている人がいなかったら、もし友達に辛いことがあった時、誰か、どこかで苦しんでいる人がいたなら神様が助けてくださいと祈るだけでもいいと思います。

 誰だって寂しいのは辛い、悲しいのは辛い、痛いのは辛い。そんな時に私たちは目に見えるものを求めがちです。その寂しさや辛さを誰かが補うのは無理があるでしょう。しかし、神様は違います。神様には目に見えないものをつなげる力がある。誰かの祈りを届ける力がある。届けられたその祈りや隣にいてくださる神様の存在に気づいた時私たちは本当の意味で救われるのではないでしょうか。辛い中で目に見えないものに気づくこと、誰かのために祈ること、簡単なようでとても難しいことです。それでもあなたの祈りは必ず誰かの助けになるはずです。

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