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2020.2.25 / 学校生活 /

放送礼拝 中原先生

ただ一つの拠り所

ローマの信徒への手紙8章38、39節

ドイツの南西部に、森に囲まれたハイデルベルクという自然豊かな街があります。インターネットで画像を眺めていると、それはそれは、美しい街で、いつかぜひ訪れてみたい場所です。何百年も昔、そこのお城の城主、神学者、教会の牧師たちが協力して、ある書物を編み出しました。「ハイデルベルグ信仰問答」という小さな、素晴らしい書物です。聖書が告げる救いの喜びを若者や子供にも分かりやすく伝えることが目的で著されたものでした。今風に言えば、Q&Aのような形で読み進めていくことができるものです。ハイデルベルグ信仰問答の一番最初の問いは次のようなものです。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めはなんですか。」皆さんならこの問いになんと答えるでしょうか?生きている時の慰めなら、いくつも思いつくかもしれません。しかし、私たちが死ぬ時にも、慰めとなるもの、慰めとすべきものとはなんでしょう?そのようなものがそもそもあるのでしょうか?

「慰め」と訳された言葉ですが、辞書で調べてみますと次のように書かれていました。「寂しさ、悲しみ、苦しみなどを忘れさせ、相手の心がなごやかに静まるようにするもの。」そのようにありましたが、この最後の「もの」とはなんでしょうか。慰めと訳された”trost”というドイツ語が、本来もつ意味は、「信頼をおくべきところ」「確信」「心の拠り所」という意味が込められている単語だそうです。私どもの人生を根底から支えてくれるもの、それがドイツ語が示すところの「慰め」であるというのです。その意味合いに従って先程の問いを改めて考え直すと、「生きるにも、死ぬにも、つまり一時的でなく、終始一貫して、あなたが確信を持って信頼することができるものはなんですか。」と問うていることになります。この世に生を受けてから、自分が死ぬその時に、すがることのできるもの、すがるべきものとは何か。また自分の死のみならず愛する者の死と向き合い、その悲しみと戦わねばならない時だってそうです。そのような時、絶対的な慰めなくして、誰がその悲しみに耐えうるでしょうか。そのような時に、根底から私たちを確かに支えるものとは何かを問うているのです。そのようなものがあるとすれば、それを獲得したいと思わない人はいないでしょう。このような問いに、ハイデルベルグ信仰問答は、なんと答えているのでしょうか。

「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。」これがハイデルベルグ信仰問答の出した答え、すなわち聖書が私たちに伝えている答えです。私たち人間が例外なく、神様のものである。私たちの全存在が、困ったとき、悲しい時だけでなく、命の始まりから終わりまで、すべてが神様のものとして、神様に覚えられている。そして、この事実が、私たちの唯一の確信であり、信頼できることであり、心の拠り所であるというのです。

今朝お読みした聖書の箇所をもう一度お読みします。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 」私たちの人生に起こってくる様々な困難、そして、その最たるものである、愛する者の死、自らの死さえも、神の愛から私たちを引き離すことはできない!とパウロは高らかに宣言しています。引き離すことはできないということは、いついかなる時にも、私たちは神様の愛の中に捉えられているということです。愛する者の死に直面し、神の愛なんてない、私から神様は離れてしまったのだと思う時、それは私たちがそのように一方的に思っているだけで、神様は決して私たちを手放してなどいないというのです。なぜならば、私たちは神様のものであるからです。ご自分のものである私たちを、神様は決して手放しはしない。常に愛を持って臨んでいてくださる。そのことを、聖書の言葉とハイデルベルグ信仰問答によって示される時、私は心燃えるような思いになります。そして、今現在悲しみの中にある方のことも覚えて、改めて、神様に祈りを捧げる思いです。

そのような、神様の愛の確かさを歌ったのが、今朝歌いました、讃美歌であると思います。2節「風いと激しく 波立つ闇夜も、みもとに錨をおろしてやすらわん。われらのイエスこそ救いの岩なれ、救いの岩なれ」私たちの神様こそ、私たちが揺るぎない信頼をもって錨を下すことのできる、岩なのです。そこに錨を下す時、神様は私たちをご自身のものとして、根底から支えてくださる。信仰に生きるということは、人生の荒波がなくなるということではありません。依然として私たちには迫りくる波がある、それが私たちを打ち付ける。でも、流されてしまうことがないのです。確かな、大岩に錨をおろしているからです。それが信仰に生きる、神様のものとして生きるということです。そして、そのことだけが私たちの唯一の「慰め」なのです。大岩のような、確かな神様の愛に、私たちの人生の船の錨をおろして、これから先も歩んでまいりましょう。

 

お祈りいたします。

天にまします、父なる神様。今朝も、あなたを礼拝することから、一日を始められます幸いを感謝いたします。新しい校舎の整えられた環境の中で、生活をすることのできる幸いも改めてここに感謝いたします。全ての外見が新しく、美しくなり、心躍るような思いになりますけれども、私たちの生活にとって、人生にとって何が真に必要であるかということも決して忘れることがありませんように。また、心のうちに秘めた悲しみと向き合わざるを得ない者のことも、私どもは忘れません。どうか、あなたがその方達の確かな慰めとなってくださいますように。このお祈りを尊き主イエスキリストの御名によってお捧げいたします。アーメン

 

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