1つ前のページに戻る

2020.7.01 / 学校生活 /

放送礼拝 放送部

マンドリン部 

テサロニケの信徒への手紙一 5章12~22節

昨年の12月31日、「中国で新型の肺炎らしき病気が流行っている」という新聞記事が出て7ヶ月が経ちました。新聞の目につきにくい場所にあった小さな記事が、今では日本のみならず世界中の新聞の一面に載り、世界中に衝撃と恐怖を与えるほどになりました。

日本では、商業施設が閉鎖され、国内外の移動が禁止になりました。そして今年の七月に開催されるはずだった東京オリンピック•パラリンピックが延期になり、さらに芸能人の方が命を落とすという悲しいニュースも報道されました。

私たちの生活も、学校に行けない日が続き、様々な行事が中止になるなど、一年前には想像できないほど大きく変わってしまいました。いつも当たり前にしていたことができなくなってしまい、イライラする人も多かったと思います。しかし、今では自粛生活の効果もあり、少しずつ日常の生活を取り戻そうとしています。

 

さて、皆さんはこの期間、毎日テレビで“日常”と言う言葉を多く耳にしませんでしたか? 私自身もニュースの中で「だんだんと日常の生活を取り戻そうとしています。」「日常生活が戻ってきています。」というコメントを聞くだけで、少しホッとした気分になったことを覚えています。

「日常」という言葉を検索してみると、「毎日繰り返される生活のこと」と書かれていました。「日常」という二文字だけで心が軽くなる私たちですが、果たして「日常」という言葉は誰にでも明るい兆しをもたらしてくれるのでしょうか?

 先日、私はあるニュース番組を見ました。その日の主な内容は、この数か月の間に毎日三食満足に食べられない家庭が日本にも増えたということ、もう一つは中東地域で病院が銃撃によって襲われるというものでした。

取材を受けていた家庭では仕事量がかなり少なくなり、収入も減ってしまい、三食食べるのがやっとだそうで、「この事態が終息しても、今より節約していかなければ家計が回らない」と答えていました。そして、中東では医療現場が逼迫している中、コロナウイルスとは関係のない病院が襲われ、何人もの方が命を落としたということでした。

私たちがここ数か月の情勢の変化に対して「一喜一憂」してる間に、「ご飯が食べられるかどうか」「命を守れるかどうか」という悩みを抱え、「日常」が戻っても、「嬉しい」という感情よりも「生活していけるかどうか不安」と感じている人がたくさんいることを思うと、なんとも言い表せないもどかしさを感じます。

たいへんだった頃を忘れて、今は少し開放感を感じていると思います。しかし、生きていくことに精一杯で、生活に困窮している方々の存在、医療従事者として医療現場で治療を行なって下さっている方々への感謝の気持ちを、私たちは忘れているような気がします。まして、世界の別の地域のことになると、深く考える時間はあまり多くはありません。ですが、このような時だからこそ助け合うことが求められています。現在、英和でもフードバンクの活動を行なっていますが、小さな一つ一つの活動が困っている人を救うことにつながります。

学校に行けること、毎日ご飯が食べられること、安心して生活できること、これらは世界中のすべての人が共通して行える「日常」ではありません。今置かれている状況に感謝して生活しなければなりません。そして、日本で新型ウィルス感染者の死者数が少ないのは、医療従事者の方々が身を削って治療してくださっているからだと思います。これからは見えないところで地道に活動している方々の存在を忘れずに、毎日を送っていきましょう。

 

お祈りします。

御在天の父なる神様、今日も新しい朝を与えてくださりありがとうございます。
今、生活が少しずつ元に戻ろうとしていますが、まだ状況は不安定です。日本のみならず世界の国々には、生活が困窮している地域が多くあります。どうか、全ての人々を守り、良い方向へと導いて下さい。
そして皆が日々の日常のありがたさに感謝できるように、そして今日一日、無事に生活できますように。
この祈りを尊き主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げ致します。アーメン。

 

 

 

 

月別
年別