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2020.7.02 / 学校生活 /

放送礼拝 マンドリン部

マンドリン部

詩編95編12

 

新学年になってから早くも3ヶ月が過ぎようとしています。新入生の皆さんは部活動に入るか迷っている人も多いかも知れません。私は5年前の春、中学1年生の時からマンドリン部に所属しています。私が初めてマンドリンを知ったのは、小学生の時に参加した英和のプログラムでした。今まで聞いたことのない楽器の音色やそこから生まれるアンサンブルの美しさに魅了され、また格好良く楽器を弾く先輩方の姿にも憧れを抱き、マンドリン部への入部を決めました。

 

その時から今まで、部活動を通して様々な経験をしてきましたが、その中でも私が特に大切にしたいと思う気づきがあります。それは、曲の持つ楽しさ美しさを共有できる喜びは神様から与えられた大きな恵みであるということです。今日の聖書の箇所にもあるように、何千年も前から、人々は喜ばしいことがあればみんなで楽器を奏でて歌い、祝っていたようです。音楽を通して感情を共有してきたのです。

 

「音楽」というと思いつくのは「歌」と「曲」です。「歌」には歌詞があって、普段では言えないような愛の言葉、苦しみの嘆きや怒りなど、様々な感情がメロディーにのせて表現され、多くの人々と共有されます。歌詞に共感して励まされたり感動したりした経験が、皆さん一度はあると思います。では「曲」はどうでしょう。曲には歌詞がありません。「歌」のように、言葉によって表現することはできず、作曲者や演奏者が伝えたいメッ セージは聴き手の想像力によって変わります。しかし、歌詞がない、すなわち感情の共有ができない、という関係が成り立つとは限りません。歌詞がないからこそ、「曲」はその時、その人、に合ったメッセージを持って心に響いてきます。「曲」は、聞く人の心に寄り添うのです。

 

私たちマンドリン部の演奏もそうでありたいと思います。演奏している私たちが楽しむだけでなく、それを聞いてくださる方々にも楽しんでいただけなければ本当の音楽ではないと思うからです。

 

単なる周波数の異なった音の連続が、大きな力を宿して私たちの心を動かし、同じ音楽を聞いても聞く人やその人の気分、聞くときの環境によって違って聞こえる。これは本当に不思議なことで、神様がそのような力を音楽に与え、それを感じとることのできる心を私たちに与えてくださらさなかったら絶対に不可能なことだと私は思います。きっと神様は、音楽を通して、みんなで神様を賛美したり、イエス様の誕生や復活の喜びを共有したり、イエス様の十字架の死に対する罪の意識を共有したりできるよう、私たち人間に音楽という恵みを与えてくださったのだと思います。そのことを心にとめて、礼拝で前奏、後奏に耳を傾けるときや、やがて一緒に賛美歌を歌えるようになった時には、そこに込められた思いや祈りを感じられたらと思います。

 

お祈りをします。 神様、今日も新しい朝をありがとうございます。今日は神様が私たちにくださった音楽という恵みについてお話をしました。神様への音楽を通して、私たちの思いや祈りを感じることができますように、お導きください。今も、世界中の人々が不安を抱えています。どうか一刻も早く、みなの心に平安が訪れますように。また、深い苦しみや悲しみの中にいる者の上に私たち以上のお恵みがありますように。この願いばかりの祈り、尊き主イエス・キリストの御名によって御前にお献げ致します。アーメン。

 

 

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