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2017.5.08 / 学校生活 /

放送礼拝 佐藤先生

ルカによる福音書10章25節~37節(新約聖書P.126)

 「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるのか」。この問いは人生の大切な問題です。人は金儲けのためだけに生まれて来るわけではないし、名誉や権力だけが人生の究極の目標ではありません。人生の終わりにあたって、「お前は沢山の間違いや失敗を犯したけれども、良い人生を送った。安心して私のところへ来なさい。」と、神様に言っていただけるどうか、これが人生の根本的な問題ではないでしょうか。

 律法の専門家の質問に対して、イエス様はすぐに「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」と問い返されました。
当時のユダヤでは神の言葉イコール律法でした。律法は生活を定める掟ですから、永遠の命を受け継げるかどうかということは、どのように生きるかということにかかっていました。
律法というのは、旧約聖書のことを指します。それを一言で言えばどういうことか、というのがイエス様の問いかけです。さすがに、この律法の専門家の答えは正確でした。
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」と答えました。イエス様はそれをほめて「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と言われました。

  ここで一つ気をつけたいことがあります。ここにある二つの戒めは「神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことだと言われています。しかし、隣人については「隣人を自分のように愛しなさい」と言われています。つまり自己愛が前提として考えられています。そう考えると、ここでは神への愛、自分への愛、隣人への愛という三つの愛が語られていることになります。

 「愛」、それは誰かとの関わりです。この関わりは、まず神様との関わりから始まります。私たちは神様によって創られ、その神様に愛されている存在です。そのことを受け入れられたとき、私たちは神様を愛することができます。
 次に自分との関わりですが、私たちは自分で自分を創ったのではなく、神様によって創られた存在です。その神様の愛を感じることができると、私たちは自分を愛することができます。
 そして、自分を本当に愛することが出来るならば、それと同じように隣人を愛することができるはずです。

 さて、この律法の専門家は、自分が律法の精神を実行しているかどうかという問いになって跳ね返って来てうろたえました。
 自分は律法の教え通りに隣人を愛しているかどうか、考えてみるとそうではない。そこで自分の立場を弁護し、正当化しなければならなくなりました。そこで彼は「では、わたしの隣人とはだれですか」と問いかけました。

 先程、神への愛、自分への愛、隣人への愛について話しました。しかし、ここで律法の専門家と同じ一つの問いが生まれます。神様も自分も誰であるかはっきりしていますが、隣人とは誰のことか、ということです。
 そのころのユダヤ教の常識では、「隣人」とは「ユダヤ人の同胞」のことでした。イエス様は、当時のユダヤ人が決して交際しようとしなかったサマリア人をたとえ話の中に登場させて、サマリア人がユダヤ人の「隣人になった」と言い、律法の専門家には「行って、あなたも同じようにしなさい」と命じられました。

 律法の専門家が訪ねたのは「わたしの隣人とは誰ですか」ということでした。ところがこのたとえ話の最後でイエス様は「誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問われました。誰が隣人にふさわしいかということではなくて、助けを必要としている人の隣人になってあげることが出来るかどうかが問題だと、イエス様は言われているのです。

 この追いはぎに襲われた人は助けてくれる隣人を必要としていました。この祭司もレビ人もユダヤ人の同胞で、ユダヤ社会における隣人です。しかも彼らは特に神に近い関係にある人たちです。にもかかわらず、彼らは仲間を見捨て、その隣人になることを拒否しました。
 それとは対照的に、ユダヤ人から蔑まれていたサマリア人が通りかかって、憐れに思い、すぐに助けの手を差し伸べました。

 私たちにはとてもこのサマリア人のようなことはできない、と思うかもしれませんが、愛の業というものは誰でもその気になれば出来ることです。
 どんなにささやかであっても、自分に出来ることを心を尽くして行えば、すぐに隣人になれると、この聖書の箇所は私たちに語っているのではないでしょうか。
 私たちもこのサマリア人のように、助けを必要としている人の隣人となりたいものです。

 お祈りします。
 御在天の父なる神様、今日は、「善きサマリア人」のたとえ話を通して、私たちは、その人が誰であろうと助けを必要としている人の隣人となって、愛の業を実行することこそ永遠の命を受ける道であることを学びました。神様どうか、私たちがサマリア人と同じように行動できるよう、力を強めてください。
 この祈りを、主イエス・キリストのお名前によってお捧げいたします。
アーメン

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