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2020.1.21 / 学校生活 /

放送礼拝 黒田先生

Ⅰコリント3:1011

 私たち山梨英和中学校・高等学校は現在、この高校校舎で日々学校生活を送っていますが、いよいよ2月の上旬には新しい校舎での生活が始まります。そういう意味では、新しい校舎への期待を持ちつつも、高校校舎での残りわずかな日々も大切に過ごせたら良いですね。

 今回学校の改修工事には本当に多くの方々が携わってくださっていますが、そこには一粒(いちりゅう)社ヴォーリズ建築事務所の方々もいらっしゃいます。この建築事務所は、その名の一粒(いちりゅう)という言葉が聖書の「一粒の麦」から名前がとられているように、キリスト教精神を軸とした会社です。加えて、その名にあるヴォーリズという人物は、この会社の礎を築き、アメリカ人であったものの、日本にやってきて明治~昭和時代を生きた人物です。私は地元の出身教会や出身大学の建造物のいくつかがヴォーリズ建築事務所の設計だったので、この人物は昔から比較的身近に感じる存在でした。ちなみに、医薬品で有名な「メンターム」を製造している近江兄弟社という会社もヴォーリズが創業者であるため、建築事務所と同じグループとなっています。「メンターム」のほうがお馴染みだという人も、一般的には多いかもしれませんね。

 このヴォーリズという人物について少し紹介すると、彼は1880年にアメリカのカンザス州で生まれました。熱心なクリスチャンホームで育った彼は次第に建築家を志すようになり、20歳の時にコロラド大学に入学して、建築を学びます。しかし、22歳の時にある集会で宣教師の講演を聞いた彼は、その内容に感銘を受け、建築家の夢を捨ててまで、海外で宣教師となることを決意しました。25歳の時に滋賀県の近江八幡市にやってきて、初めは誰一人として知り合いのない中でしたが、「様々な分野の仕事を通して、キリスト教的生活を徹底的に実践する」という理念のもと、彼は宣教師でありながら様々な事業を行って、多くの人々の信頼や協力を得ていきました。例えば、先ほど紹介した建築分野・医療分野・さらには教育の分野も手掛け、現在でも近江八幡市には幼稚園~高校までを備えた「学校法人ヴォーリズ学園」が存在しています。彼は太平洋戦争が始まって、多くの外国人が日本を離れる中でも、自らの意志で日本へ帰化することを決め、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名して、日本で生涯を終えています。

 昨年、「百万人の福音」という雑誌の5月号にヴォーリズ建築事務所の一色さんという方が書かれた記事が掲載されていました。「クリスチャン建築家の考える改修工事の進め方」という題名で、主に教会の改修工事のあり方についてお話しされていました。近年、改修を考える教会からの依頼が多くなっているそうです。それは建物の老朽化が進んでいたり、教会に集う人々の年齢が超高齢化していたり、身体が不自由な方々のためにもバリアフリー化が必要だったり、といった理由からです。一色さんは、改修を行う際の一番の根幹に「どのように進めるか」ということを置いています。専門家が手を貸す前にまず、依頼者側の教会の人々にビジョンと問題点を、お互いの間で共有してもらう。しかも、その作業には出来るだけ多くの人が関わることが望ましい。最終的に、予算の事情で全員の意見が通らないことはあるけれども、どの問題点も挙げた人にとっては同じくらい重要で、今すぐに解決されなかったとしても、将来何らかの形で解決していくことを確認する貴重な機会となる。だからこそ、「出来るだけ多くの人」が主体性をもって意見を出し、それを共有することに意味があるとのことでした。ヴォーリズという人物は、人をあっと驚かせることばかりに焦点を当てる設計側の主張が強い建築物を嫌いました。あくまで依頼者の求めに相応しい様式を選びつつ、かつ近代的な改善もおこなって、住み心地が良くて健康に過ごすに相応しい建物を目指した人物だったようです。そのヴォーリズの「依頼者第一」の思いは、まさに今も引き継がれているのだなぁと、私は一色さんの記事を読んで、感銘を受けました。

 今日の聖書箇所を読むと、一方的な恵みによって、神は私たちの土台となって下さっている。例えるならば私たちを「熟練した建築家」のようにしてくださっている。それは、私たち自身の力や努力によるのでは決してないと記されています。けれども、私たちは弱いですから、その土台が何であるのかを忘れ、別の土台を据えようとしてしまうことが多くあります。今日読んでいるコリントの教会もそうでした。コリントという場所はギリシャのアテネという都市から約80km西に行ったペロポネソス半島にある町で、もともとここの人々は不道徳な生活を送っていました。しかし、使徒言行録18章にあるようにパウロが1年半にわたって粘り強く神の御言葉を伝えた甲斐もあって、コリントの教会は大きく成長を遂げます。皆が神の恵みに感謝し、お互いを思い合って生活していたわけです。けれどもパウロがコリントを去った後、コリントの教会では、次第にねたみや争いが絶えなくなり、教会内の分裂・仲間割れが起きていきました。パウロはそのようなコリントの人々に対して、「キリストだけが、そしてキリストこそが土台であることを思い起こすように」と忠告しています。

新しい校舎になって、新しい英和の歴史が刻まれていく中でも、私たちは神という揺るがない土台にいつも立ち続けて、歩んでいきたいと思います。マタイ7章には、神を土台とする賢い人とは、神の御言葉を聞いて行う者のことを指す。そういう人は、雨が降って川があふれ、風が吹いて襲っても倒れないと記されています。ぶれやすくもろい私たちだからこそ、日々の礼拝で御言葉を聞いて、心に留めること。そして、厳しい現実が目の前にあったとしても、ヴォーリズがそうであったように、「徹底的に御言葉を実践し、神の愛に生きること」に向き合えたらと思います。もちろん、それぞれに与えられた賜物や個性を主体的に活かし合い、用い合いながら。

 

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